226: 536 2006/02/03(金) 01:16:19 ID:w6A8mbTf
故郷は嫌いだった・・・。
ガキ大将肌の兄貴が目の上のたんこぶのようで、全てのコンプレックスの根源のような存在だった。
大した家柄でもないのに、見栄っ張りの母親に無理やりバイオリンを習わされた。
興味が無かったので上手くなる事も無かった。それよりも何でも無意味に強制したがる母が憎かった。

東京に来れば何かが変わると思っていた。有名大学に通うという口実で2浪までして早稲田に入った。
本当はここから逃げ出したかっただけなのに、適当に思いついた安っぽい理想を熱っぽく語る振りをして親から2年間も無駄飯を喰わせてもらった。
今思えば、大阪が嫌いだったのかそのころの自分が嫌いだったのか、解らなくなる事がある。

2つ下の連中にタメ口をきかれるのがイヤで、ほどなくしてあまり学校にも行かなくなった。
6畳一間の安アパートに篭っていると、自分がこの世界の中心に居るような、はたまたこの世界には自分の居場所が無いような錯覚に襲われ心のバランスすら無くしかけていた。

10日も不精した垢を落としに銭湯へ行った帰り、タバコ屋の近くの路地でそのバイクを見た。
バイクなぞ興味は無かったが、この素人目にも特異なスタイルをもつこのバイクが「カタナ」という名前である事ぐらいは知っていた。
・・・なぜ、目を奪われてしまったのだろう・・・。僕は「カタナ」の傍らに5分は佇んでいただろうか。
夕日を浴びて怪しく光るエンジン。日本刀のようにとがった鼻っつら。よく見ると前後のタイヤの大きさが違う事が解る。ドキドキした。都会の片隅の掃き溜めの中に居るような目的も無く荒んだ生活を送っていた僕の目には、その独特のオーラを放つマシンが異次元の乗り物に見えた。
この乗り物に乗れたなら、どこか違う世界に行けるような気がした・・・。

僕は背後に人が居る事すら気が付かなかった。いきなり声を掛けられてみっともなくも体がビクッと動いた。
「バイク・・・興味があるのかい?」
ヘルメットを小脇に抱え、革ジャンを着た僕と同じくらいの年頃の男。明らかにこのマシンの持ち主だった。特徴的な鼻の脇の大きなデキモノが目を引いた。

僕を変える出会いだった・・・。1983年のもうすぐ夏の頃の出来事だった。

244: 774RR 2006/02/04(土) 01:40:28 ID:kEQ/KUAB
「あ・・・その・・・」
この日、風呂に入ったのと同じく人と話すのも10日ぶりだったような気がする。言葉がすんなりと出て来なかったのは自分でも驚いた。
「大きいバイクだなと思って・・・何ccなんですか?」
彼は、人懐こい屈託無い笑顔を浮かべながら愛嬌のある厚ぼったい唇でこう言った。
「ナナハンさ。本当は1100が欲しいんだけどね」
ナナハン・・・バイクに興味が無い僕でもそれが非常に厳しい試験をパスしたものにしか与えられないプラチナライセンスであることくらいは知っていた。
「ナナハンかぁ、凄いなぁ。何キロくらい出るんですか?」
排気量・・・最高速度・・・。今にして思えば、よくもまぁこれだけバイク素人の王道を行く質問を投げかけたものだ。
その時の彼はもしかしたら少し苦笑していたのかも知れない。
「200km/hくらいまでしか出した事ないなぁ。キミもバイクに乗るのかい?」
・・・その少なくとも僕の人生と生活にあまりにかけ離れた速度にやや驚きつつも、バイクには乗った事が無いと言った。
「そうか。良かったらどうだい?跨ってみるかい?」
突然の申し出に僕は驚いた。そして思わず辞退してしまった。

233: 774RR 2006/02/03(金) 05:31:20 ID:ta9pEgsL
>> 2つ下の連中にタメ口をきかれるのがイヤで

俺なんて仕事先で17くらいの小僧に敬語使ってんだぞ。(俺20歳)
悪態はついてくる。けど帰り際にいかついカスタムバイクを運転しかえるところを見てやつは
黙った・・

245: 774RR 2006/02/04(土) 01:41:08 ID:kEQ/KUAB
「あ・・・あの・・・じゃぁ、僕はこれで・・・」
彼は無言でやはり笑顔を見せ、さっと左手を顔の付近に挙げ、別れの挨拶をしてきた。
ヨレヨレのTシャツに破れかけたスニーカー。入浴セットの入った洗面器を持ったうだつの上がらない格好をしていた僕は、会釈もそこそこにいそいそとその場から離れる。珠玉のようなマシンと、実に男らしいライダーを前にしていつも以上に気後れしていたのかも知れない。
電柱を5本ほど歩いたところでチラッと振り返ると、彼は既にヘルメットとグローブを装着し「機上の人」になっていた。
カタナの暖気が始まった。その野太い大型動物の唸りにも似た排気音は、僕が路地を曲がるまで聞こえていた。
GSX750Sカタナ・・・大型自動二輪・・・時速200km・・・。これまで全くといっていいほど僕に関係の無かった世界の片隅を垣間見たような気がした。バイクなんて興味が無かったのに何故かしばらく意味不明の高揚感が止まらなかった。
「・・・バイクか・・・」
部屋に帰って思わず口をついて出た独り言に自分自身で驚いたのを覚えている。何かのスイッチが入った運命の日だったのかも知れない・・・。

・・・余談だが、今でもあの日のことを彼は覚えているらしく
「あの時のフグ田くんは捨てられた子犬のような目をしていたなぁ。なんだか放って置けないような気がしてね」
と言って僕をからかう。
そう、あの日は僕の一生の親友。アナゴ君との出会いの日でもある。

254: 774RR 2006/02/05(日) 00:34:05 ID:p77sPL8z
なぜ、縁もゆかりも無いバイクの世界にここまで心酔してしまったのであろう。跨った経験すらないのであれば、それは好き嫌い以前の問題のはずだ。
心当たりがあれば「血」であろうか・・・。父方の祖父が戦前から陸王を乗り回していたというのは親戚の中でも有名な話であるし、バイクに跨っている死んだ父の若い頃の写真(CR110?)も見た事がある。
まぁ、そんな事はどうでもよい事だ。とにかく僕の生活は翌日から一変してしまった。

まず、僕は駅前の書店で「モーターサイクリスト」と「オートバイ」という雑誌を購入する。バイクについて知識が欲しかったのである。この2冊はしばらくの間、僕のバイブルとなった。内容を暗唱できるのではないかというほど読み返し、2年間の浪人時代に使った英和辞典の20倍くらいの速さでボロボロになった。
雑誌の中のバイクの世界は非常に魅力的で、ハタチの僕の好奇心を大いにくすぐり想像力をかき立てた。最新型RG250Γのレーサー然としたスタイルに酔い、CBR400FのREVという最新テクノロジーに驚いた。ハンス・ムートという天才工業デザイナーの名前を知り、フレディー・スペンサーという天才ライダーの名前を知った。
僕は6畳一間の安アパートの中で、世界が広く明るく開けて行く感覚を感じた。内に篭りがちであった僕の精神が、このような感覚にとらわれるのは初めての体験だった。
この2冊からは、現在の市販ラインナップやオートバイ事情、・・・そして免許取得についての知識を吸い上げた。

こう言うと反感を買ってしまうかも知れないが、当時の僕はいわゆる「貧乏学生」ではなかった。心配性な母が多くはないが必要十分な仕送りをしてくれていたし、何よりも友人も少なく部屋に引き篭もりがちであった為、金を使う機会が全くといっていいほど無かったのだ。そして2冊のバイク雑誌は、僕がちょうど「中型自動二輪免許」を取得するのに必要なだけの蓄え(ただ口座に余らせていただけであるが)があることを教えてくれた。

「カタナ」に魅せられた1週間後、10万円ほどであったろうか・・・ほぼ全財産を懐にして僕は自動車教習所に向かった。
進路を思い悩んだ浪人中に取得した普通自動車免許取得に続き、2回目の自動車教習所への入校だった。

268: 774RR 2006/02/05(日) 22:17:20 ID:mvSYv4Ie
僕がペーパードライバーであるという事は、どういうわけかなかなかに広く知られた事実である。
4輪車の運転に全くといって良いほど楽しみを見出せなかったのは、浪人時の教習所時代から変わらない。僕にとって普通自動車運転免許は、生活と就職活動に必要な単なる「資格」でしかなかったのだ。
だから、僕は少なからず不安を抱えていた。バイクもいざ乗ってみたら全く興味をそそられなかったら・・・と。

入校の2日後、僕は初の実技教習を受けた。初めてバイクに乗る日である。教習車は、ホンダ CB400ホーク?U。
引き起こしや取り回しで初めて触れたそのバイクは、GSX750Sに比べひとまわり以上小さく見えたがずっしりとした確かな質量感で僕をやや緊張させた。
教習所から借りたヘルメットを着用し、煩瑣な乗車動作を教わった後、僕は初めてオートバイに跨る。
僕の心臓は、ますます高鳴った。目の前の機械然とした計器類。両手から、尻からダイレクトに伝わるエンジンの振動。
あぁ、早く・・・早く走らせて見たい・・・。
MT普通車免許を持っているため、クラッチについての説明は簡単に済まされた覚えがある。

「じゃあ、ゆっくり付いてきて」
教官の車両が動き出す。僕も続いてクラッチを繋ぐ。お約束のエンストはしなかった。周囲の景色がゆっくりと流れ出した。
教わったとおり、すぐに2速へ。ややギクシャクしたが順調に速度を乗せていく。そして奥の直線部で3速へ・・・。
30km/h強で走るホーク?U。風が顔に、胸に、腕にあたりまとわり付きながら後ろへ流れていく。

「あぁ・・・」
僕は笑顔だった。満面の笑顔だった。愛想笑い意外で心のそこから笑みがこぼれたのは、何年ぶりのことだったろうか・・・。

280: 774RR 2006/02/06(月) 21:22:27 ID:Fe0Q5mtK
>>268 >>269
教習所に通っていた頃を思い出すよ、あんときゃ何もかもが新鮮だった。

251: 774RR 2006/02/04(土) 18:54:35 ID:WJG5dI0C
甘酸っぱい匂いがするね・・・

269: 774RR 2006/02/05(日) 22:47:14 ID:mvSYv4Ie
その日の帰り道。僕の自転車をこぐ足は軽やかだった。
夕日を背にうけながら走る自転車の上で、さっきまでの夢のような時間を思い返していた。まだ、両手には振動が残っているような気がする。
幼少期に習っていたバイオリンレッスンの時間・・・、受験勉強の「ような」ことをしていた浪人時代の深夜・・・、大学でのゼミの時間・・・。僕はこれまでの人生で、ほぼ全ての時間を適当に受け流しやり過ごしてきたような気がするが、そんなどの時間よりも短く、そして濃密に感じた1時間だった・・・。
たかだか外周路を完熟走行しただけであるが、こんな楽しい事が世の中にあったのかと素直に感激していた。

右手でスロットルを捻るような真似事をして、自転車をさらに加速させる。初夏の夕暮れの風は、心地よく鼻歌すら出てくる。
ついこの前まで、世の中に背を向けたような生き方をしていた僕が・・・である。

交差点に差し掛かり、赤信号で自転車を止める。その刹那、バイクの野太い排気音が聞こえてきた。
以前であれば、まったく気にも留めなかったその音の方を反射的に見た。・・・音の主は、カタナだった。
『シュゴァァァァ!!』
目の前を一瞬で通り過ぎたそのライダーは、見まごうことなくあの日の彼だった。
夕日に向かって走るその姿は、あまりにも神々しかった。僕は笑顔と羨望の眼差しで信号が青になったのにも気づかず彼の背中を見送った・・・。みぞおちの辺りが熱くなり、背中に震えが来た・・・。早く、早く彼のように自由にバイクで道を走りたい・・・と心から思った。

「さて、僕はどんなバイクに乗ろうかな」
・・・僕は、変わり始めていた・・・。


283: 774RR 2006/02/06(月) 23:45:34 ID:zKom5rD2
その後も順調に教習は進んでいった。来る日も来る日も新鮮な日々だった。
スロットルを捻ると体全体が置いていかれそうになるような痛快な加速感・・・。運動エネルギーと地球の重力をバランスさせ、鳥のようにバンクさせて旋回していくコーナーの心地よさ・・・。自らの精神状態を試されているような一本橋のスリル・・・。
100kgを遥かに超える質量を自在に手中に収めているかの様なスラロームの快感・・・。
まだ、梅雨が明けきっておらず、天候に恵まれない教習時間もあったが、雨がバイクに乗る楽しさをスポイルする事は無かった。

・・・僕は新しい自分を発見していた・・・。スポーツも楽器も、そして勉学も何一つ人より秀でたもの、自信を持てるものが無かった
僕に、自分で言うのもなんなのだがどうやらライディングの才能があったようなのだ・・・。
僕は特に教官に注意や指摘をされることもほとんど無く、次々と新しい項目をクリアしていくのだ。当然、乗り越しなど無い。
「フグ田さん、無免でバイク乗り回して悪い事してたでしょう?」
と、教官達には何度尋ねられたろう。
不思議な感覚だった。僕の内に秘められていた何かが、解放されていくのを感じた。20年の間、屈折した精神の奥底に埋もれていた眠れる魂が、バイクという乗り物を通じて一気に噴出して来たかのようだった。
気が付けば、入校から2週間ほどで卒検ももう間近に迫っていた。

僕が少しだけ変わった事といえば、もう一つある。きちんと学校へ行くようになり、友人と会話をするようになったのだ。
教習所へ行き始めてから、同じゼミにバイクに乗っている奴が数人いる事を思い出した(大型二輪所持者はいなかったが)。
とにかくなんでも良いからバイクに関する話が聞きたくて彼らと話をしているうちに、2浪のコンプレックスなどはいつの間にか消えていた。雑誌からの情報とはまた一味違う生の情報もまた、僕を刺激してやまなかった。

少しづつ、僕は口数も多くなっていた。そして反比例するかのように一人で部屋にいる時間が少なくなっていった・・・。



288: 774RR 2006/02/08(水) 01:11:23 ID:42CUv3UO
結論から言うと、僕は実にあっさりと中型自動二輪免許を手に入れた。
教習時から見せていた、教官をして初心者離れしていると言わしめたライディングテクニックを見事に卒業検定でも披露した僕は、全く危なげなく検定コースを走りきり合格した。
だが、取得の過程が順調だったからといって、その感動が少しも損なわれる事は無く、検定を終えた直後は何か一つの事をやり遂げた充実感と達成感で胸がいっぱいだったし、その結果が免許センターで形となって手渡された時は、おもちゃを渡された子供のように心中ははしゃいでいた。・・・その日、財布から免許証を取り出して眺めた回数は実に11回である・・・。
僕は、自動二輪車に乗って公道を走行する事を、社会的に認められたのだ。
僕のバイクに対する願望がひとつ、その形を確かなものにした。

免許を手に入れたとなると、もう一つだけクリアしなければならない課題がある。・・・そう、マシンを手に入れる事だ。
教習所に入校した時点で、財産のほとんどを使い果たしていた僕には、それは免許取得以上に大きな障壁であった・・・はずだった。
しかし、少しだけポジティブに生き始めた僕に、これまで使っていなかった分の運が一気に向かってきたのだろうか・・・。
この問題も、実にあっさりと事が進む事になるのである・・・。


僕は、その些細な出来事で人と人との繋がりの大切さというものを初めて理解したのかもしれない。
安くても良いからバイクが欲しいという自らの意思を周囲に言葉にして伝えていたが為に、その話は転がり込んで来たのだ。

「フグタ君、俺の兄貴がバイクを手放したがってるんだけどどう?話しだけでも聞いてみる?安くしてくれるように頼んでみるよ。」
つい最近になってバイクの話がきっかけで会話をするようになったその彼が言うには、最近結婚した彼の兄が生活環境の変化によって乗る事が無くなってしまったバイクを処分したがっているという話だった。僕はその話に飛びついた。
「CB400FOURの、確か398ccになってすぐのモデルだったと思うよ。6~7年前のモデルだから期待はしないでくれよ」

そう言われたところで、僕の胸が期待に膨れ上がるのを抑えられるはずも無かった・・・。

295: 774RR 2006/02/09(木) 00:22:43 ID:G2BQ4G0E
ホンダCB400FOUR・・・通称『ヨンフォア』は、その当時すでに400ccクラスの先端を行くモデルでは無かった。
当時、雑誌を賑せていた最新機種は、ホンダで言うとCBX400FやREV搭載のCBR400F、V型4気筒のVF400F。
スズキではGSX400F、カワサキからはGPz400・・・などと言ったいずれもDOHC化された、目覚しいバイク性能の発展期にふさわしい高性能モデルが続々とデビューしている頃であり、400ccクラスに4気筒の新風を注ぎ込んだヨンフォアの功績も、
すでに過去のものとなっていた。
しかし、最新型であるかどうかという事は、僕は全く気にしていなかった。むしろ、予算的に安いバイクしか手に入れられない事は最初から解っていた事であるし、そうすると必然的に少々古いバイクにならざるを得ない事も理解していた。そんな予算的に限られた条件の中でも、教習車ホーク?Uのような2気筒ではなく、出来ればカタナのような直列4気筒を欲していた僕にとって、ヨンフォアという選択肢は願ったり適ったりのものであったのだ。

実車を確認させてもらう約束をしたその日。友人の兄の住むアパートの駐輪場で僕と友人、そして持ち主である友人の兄とヨンフォアの4者が顔を揃えた。
ヨンフォアはセミアップハンドルの?T型であった。・・・僕は内心、狼狽していた・・・。予想を遥かに超えて状態が良かったのだ。小傷こそ散見されるものの、車体各部は製造されて7年を経ても輝きを失ってはいなかったし、路地裏を数分間だけ試乗させてもらった印象では機関にも特に異常を感じなかった。初心者の僕は、モーターサイクリスト誌に掲載されていた『中古車の選び方』を熟読してこの日の実車確認に望んだのだが、それに照らし合わせてもこの車両が極上車であることは直感的に理解できた・・・
『これは、・・・高いぞ・・・』
・・・彼の兄が幾らを提示してくるのかという事のみが、僕の心配の種だったのだ。


296: 774RR 2006/02/09(木) 00:24:52 ID:G2BQ4G0E
親分肌っぽい友人の兄がタバコをふかしながらヨンフォアの金額を提示した時、僕は目を丸くして驚いた。
「5万でいい?弟の友人から大枚ふんだくるわけにも行かないしな。」
逆の意味で僕は一瞬躊躇した。僕は10万は下らないと勝手に予想していたのだ。それが・・・予想の半額である。5万円と言ったら、教習所に教習費を支払った際に手元に残った僅かな残金、そして今月の食費さえ切り詰めれば数日前に実家から振り込まれた仕送りから一部を補填すれば作れてしまう金額だった。

・・・僕は即答した。優柔不断を自負する僕がこれほど短時間に、そして自分の意思のみで何かを決定した事は無かった。
「是非!是非、譲って下さい!」

310: 774RR 2006/02/09(木) 21:57:25 ID:UMmrUzCn
その二日後の深夜、仕事を終えた『親分』がヨンフォアを僕のアパートまで乗ってきてくれた。その友人の兄の風体から、僕は心の中で勝手に彼を『親分』と呼んでいたのだ。

「久しぶりに乗ったけど、やっぱり単車はいいなぁ!売るのが惜しくなっちまったよ」
と親分はヘルメットを脱ぎ、笑いながらそう言った。
夜の住宅街を気にして、彼は早々にアイドリングを止めた。幾つかこのバイクに関する注意点を僕に説明した親分は、ひとしきり話し終えると、ヨンフォアのキーを僕に渡してくれた。そして・・・。
「メットもジャケットも持ってないんだってな?これもやるよ。ボロで悪いけどな。」
そう言って親分は、少々古びたヘルメットと安い合成皮革だという黒い革ジャケットも僕に手渡した。バイクが無いんじゃどうせ使わないからな、と親分は言った。・・・そうだ、僕はバイクを手に入れる事に執心していて装備の事をすっかり忘れていたのだ。
僕はその夜、親分に対して「はい」と「すみません」と「ありがとうございます」のみで会話をしていたような気がする・・・。

僕はその価値に対して安すぎて釣り合わないと感じた約束の5万円を彼に支払った。親分は枚数を改める事も無く、Gパンの後ろポケットに5枚の一万円札を無造作に突っ込んだ。そして最後にこう言った。
「すぐにでも乗りたいだろうけど、今晩は止めといた方がいい。初っ端から夜は危険だぞ。」

「俺は電車で帰るよ。事故だけは気をつけろよ。俺のヨンフォアで死んだらタダじゃおかねーぞ」
親分は笑いながらそう言うと、ヨンフォアのタンクをポンと叩き、徒歩で帰って行った。

・・・今まさにバイクを降りた彼の後姿に、少しだけ哀愁を感じた・・・。

・・・今まさに僕がオートバイ乗りになった、1983年7月上旬の夜の事である。

321: 774RR 2006/02/10(金) 22:19:04 ID:/OR9qLUI
僕はアパートの駐輪場に停めたヨンフォアを、寝るまでの間に3回見に行った。そして、親分にもらった少し整髪料臭いヘルメットを5回被ってその度に鏡でその姿を確認した。
僕は親分の言いつけを守ってその晩はなんとかヨンフォアに乗るのを我慢した。

翌朝は抜けるような青空が広がっていた。久しぶりに僕は学校をサボり、管轄の陸運支局までヨンフォアの名義変更に行く事にした。胸の鼓動を抑えながらシリンダーにキーを差し込み、スタータースイッチを押す。ヨンフォアは一発で目を覚ました。
親分から受け継いだヘルメットとジャケットを装着した。グローブの代わりは春に部屋に引っ越してきたときに使った軍手だ。
親分に言われたとおり、タコメーターの針の動きが安定するまでの数分間、暖気を行う。
ヨンフォアのメーターの積算距離計には、これまで親分と共に過ごして来たであろう12580kmの数字が刻まれていた。
・・・この先の距離計は僕が動かしていくのだ・・・。ヨンフォアの準備は万端。僕とヨンフォアは表通りへと走り出した。

緊張と嬉しさで、陸運支局に着くまでの間、どこをどのように走ってきたのかは覚えていない。まだ、朝の通勤ラッシュの影響が残るAM9:00過ぎで、渋滞に巻き込まれながらの走行だったので初走行の実感は薄かった。
親分に渡された必要書類の中に、彼直筆の名義変更の手続き方法を書き記したメモも入っていた。そのおかげでいとも簡単に名義変更も滞りなく終了した。僕の住所と親分の住所とは管轄を同じくしている為、ナンバープレートの変更も無かった。
法的にも僕の所有物となったヨンフォアを前にすると改めて自分のものだという実感が湧いてきた。

全ての手続きを終え、陸運支局を後にしようとした時、道路上の雰囲気も朝の通勤ラッシュから一段落した平日の落ち着いたものになっていた。
空は相変わらずの澄んだ青空。午前10時。・・・もちろんこのまま部屋に帰る気は、僕には無かった。

298: 295 2006/02/09(木) 01:02:58 ID:G2BQ4G0E
80年代初頭のヨンフォアの中古相場は解りませんが、5マソという価格がありえないのは重々承知ですw
「友人の兄」が相場に疎かった・・・などと脳内補完してお読み下さいm(_ _)m

しかし・・・ヨンフォアの中古価格相場って凄い事なってますね・・・。特に10年ちょっと前の第二次ヨンフォアブームの
頃って、80マソ台がざらにあったとか・・・。

302: 774RR 2006/02/09(木) 13:59:08 ID:pUhbPcZI
ちなみに75年当時のCB350f相場はタダ同然だったそうで

323: 774RR 2006/02/10(金) 22:58:06 ID:/OR9qLUI

僕は、目的も無く走り出した。国道246号線に出て、南西へと向かう。車が少なくなった道路は、早朝とは打って変わって僕の心を揺さぶる感動の走りのステージとなっていた。教習所で出したことのある速度を超えてヨンフォアはなお加速する。
教習所では気がつくことの無かった『ゴーッ』というヘルメットが空気を切り裂いていく音を聞きながら、僕は『うぉぉー!』と雄叫びをあげていた。もちろん雄叫びをあげるなど人生初の体験である。
これまで自転車を含めた自分の運転する乗り物では経験した事の無い速度で、前方の景色が手繰り寄せられ、通り過ぎ、後方へ弾け飛んでいく。僅かなスロットルの操作にもヨンフォアは敏感に反応し、僕に刺激的な加速Gを与えながらさらに前へ前へと突き進もうとする。至福のひと時だった・・・。熱い胸の高鳴りは、走っている間おさまることなど無かった・・・。

あてもなく西の方へ向かったのは、故郷が西にある者の性であろうか。僕は国道246号線を横浜を過ぎたあたりで467号線にスイッチし、やがて海が見えるとそのまま海沿いを走る国道134号線を西にひた走った。数日前の試乗時に、チャポンチャポン
と音を立てていたタンクが、満タン状態だった事に気がつき、親分の心遣いに感謝した。
僕は国道1号線に進路を変えそびれ、そのまま134号線を走る。最初は赤信号では車列の後方に大人しく並んでいた僕だったが、このあたりに来る頃には、他のライダーがそうするように、すり抜けも行うようになっていた。・・・そして・・・。

・・・そのまま西湘バイパスに突き進んですぐの事だった。これまで邪魔だと思っていた4輪車に右側を豪快に抜かれた。車は日産フェアレディZ。・・・僕の魂に炎がともった・・・。僕はこれまでこんな事をする人間だと自分自身でも認識は無かった。ただの大人しい優男だと自分自身を評価していた。しかし、おそらくバイクによって引き出されたであろう熱い魂の欠片は、無意識のうちに僕の右手を動かしスロットルを捻りあげていた・・・。僕はZを敵機と認識していた・・・。

公道デビュー初日・・・。無謀な挑戦が始まった・・・。

329: 774RR 2006/02/11(土) 22:14:49 ID:z+aUes61
何故・・・何故、こんな事をしたのか・・・。理由は解らなかった・・・。強いて言えば、あの車より速く走ってやるという、極々単純な競争意識だったとしか思えない。
120km/h・・・130km/h・・・。捻ったスロットルに呼応し、エンジン回転数と車速をあげるヨンフォア。
S130フェアレディZのテールが迫る。捕らえたと思った瞬間、Zのルームミラー越しにドライバーの左目がこちらを確認したように見えた。次の瞬間、Zもまたさらにスピードを上乗せしていく・・・。メータは150km/hを超えようとしていた・・・。

雑誌で見たテストライダーを真似たのか、それとも無意識か・・・、胸がタンクにくっつくほどに深く上体を伏せた僕もまた、自分にとって未知の領域に踏み込んでいた・・・。もはや心地よいだとか刺激的だとかで表現できるような世界ではない。少なくとも初心者の僕と70年代に生まれたヨンフォアにとって、前方から襲う硬質な空気の壁と、路面からサスペンションを介しても伝わってくる硬く尖った不気味な感触は、暴力的ですらあった・・・。

アクセルをやや抜いたような自然減速でZが僅かに車速を落とした時、僕は一瞬ためらったが前に出た。相手の減速の意味が解りかねたからだ。理由はすぐに解った。橘料金所だ。僕は先行してゲートに入り料金を支払うと、路肩にバイクを停車させ財布をGパンに戻した。初めての有料道路での料金支払いで、ややもたついていたかも知れない。その僕の横をZが全開加速でスタートしていく。『仕切りなおしだ』・・・心の中でそうつぶやくと、僕は再びZを追い始めた。

巡航速度と、この車速域での再加速では明らかにZに分があった。今思えば、もしかしたら相手は安全マージンを取りながら走っていたのかも知れない。僕は一般車両の追い越し処理でのみ分がある二輪車で、なんとかZに喰らいついていた。抜ける気はしなかったが、置いていかれる気もしなかった。ヨンフォアのスピードメーターがそれ以上動かなくなる領域まで速度は上がっていた。

常識的な思考を持つ人間にとっては、まったくハイリスク・ノーリターンなこの行為に際して、僕は湧き上がる心の高鳴りと喜びをこらえ切れずにいた。時速170kmで移動するバイクの上で、僕の口元は怪しく微笑んでいた・・・。

330: 774RR 2006/02/11(土) 23:13:00 ID:z+aUes61
今朝、公道に出たばかりの僕は、こんな死と隣り合わせの速度域で臆するどころか逆に興奮していた・・・。快感というよりは快楽とでも言おうか・・・。理屈抜きの、原始的で性的な部分に端を発する類の快楽とでも言おうか・・・。
とにかく、僕が自分でも20年の間気がついていなかった野生の部分が、バイクによっていとも簡単に露呈された瞬間だった。
結局僕は、西湘バイパスでZに置き去りにされることは無かった・・・。

西湘バイパスは、このペースで走るにはあまりにも短い。バイパスも終わりに近づいた頃、Zは左ウィンカーを点滅させ減速しながら本線から離脱する。またしてもドライバーとルームミラー越しに目が合い、僕も誘われるように後に着いて走る。
その先には、また料金所があった。さらにその先に続く道は、バイパスではなく一般道・・・峠道のようだ。
Zが先行しゲートをくぐる。まだまだ戦い足りないと感じていた僕も、その『箱根ターンパイク』という有料道路に入っていく。
料金を支払う手が震えた。ヨンフォアの振動の余韻か、自分自身のものかは解らなかった。
Zは既にゆっくりと走り始めていたが、僕の用意が済んだのを見計らったかのように強く加速していく。僕はZを追った。

勇んで再々仕切りなおしに臨んだ僕だったが、しかし箱根路に入ってからは全く勝手が違っていた。次々とコーナーが襲いくる日本屈指のワインディングステージで初心者の僕が戦う事自体に無理があったし、その無理に気がつかなかったのはやはり初心者のなせる業だったのだ。
その車名に似つかわしくない排気音とスキール音と挙動を繰り出しながらターンパイクを駆け上がるフェアレディ。対して僕は迫り来るコーナーにおびえながらのライディング・・・。アウト側のガードレールが目に飛び込み、恐怖で体が固まるとますます曲がらなくなるバイク。アウトに膨らんで行くバイクの車速を完全スロットルオフと非常に弱いブレーキングでごまかしながら落としていく。すると完全にパワーバンドを外れたエンジン回転は、コーナー脱出時に必要なトルクを生む事が出来ず咽ぶだけ・・・。

さっきまでの威勢はどこかに消えていた・・・。僕はバイクの奥の深さを、屈辱をもって知る事になってしまった・・・。

344: 774RR 2006/02/12(日) 23:45:33 ID:Gm889oau
またたく間に広がるZとヨンフォアの車間。その理由はどちらかというとZの速さよりも、僕の遅さの方が支配的だった。
通過したコーナーの数に比例してZの背中が小さくなっていく。車間が開くと、先行車両の進入速度に頼ったコーナー半径の見積もりが出来ず、さらに遅れに拍車がかかっていく。
僕は意地になって直線部分ではスロットルを開けていたが、もうすでに遅れを挽回する事が不可能である事も理解できていた。
・・・悔しかった。敵機Zへの憎さなど微塵も無く、山岳路に入った途端にメッキの剥がれた自分のライディングの拙さが情けなかった・・・。

そろそろZの姿が見えなくなりかけた、その時である。コーナーとコーナーを繋ぐ短い直線部分で『ボシュッ!』という一瞬の排気音を残して僕の右脇を一台のバイクが追い抜いていった。コーナーを処理する事で精一杯で、しばらくミラーを確認していなかった僕は、いきなりのそのバイクの出現に驚いた。
・・・バイクは、カタナだった。・・・あの日の彼に似ているような気もしたが、排気量も含めて確認できる余裕など無かった。
カタナは『ジャァァァァァ』という音を立ててステップを路面に押し付けながら、コーナーをクリアしていく。

カタナは僕との距離を広げるのと同時に、先行するZとの距離を縮めていく。尻をイン側に落とし、確信を持ってコーナーに進入し、路面に張り付くように旋回していくそのライディングは美しく、また感嘆すべきものだった。

346: 774RR 2006/02/13(月) 00:28:53 ID:/Yfy31af
遥か後方で見る限り、カタナはZを射程におさめたようだった。突然の手練の乱入にZが慌てたかどうかは解らない。
代わりにZを追ってくれるバイクが出現したお陰で、僕の戦意はやや消失気味だったが、とある左コーナーを立ち上がった直後の光景で、その僅かに残った戦意すら消失した。

僕は中速左コーナーを立ち上がって息を呑んだ・・・。僕の目に飛び込んできたのは、まるで天空へ駆け上がるように伸びる登りのストレートだった・・・。遥か先の空に浮かぶ純白の夏雲に架けられた梯子のようなその美しい道は、突然僕の目の前に現れた。
そしてその梯子の先では、2台のマシンが雲上を翔る二羽の自由な鳥のように右方向に翻り、僕の視界から消えていった・・・。
・・・そうだ・・・。僕は今まさにバイクという翼を手に入れて、そしてこの場所にいるのだ・・・という実感が押し寄せてきた。教習所で初めてバイクに乗った帰り道、あの彼とカタナの背中を見送った時に心から思った「バイクで自由に道を走りたい」という望みの中に今まさに身を置いているのだ・・・。

・・・自分もまた未熟ながらも、紛れも無くこの天空を翔る一羽の鳥であることを認識した時、それまで意固地になって開けていたスロットルは戻されていた。車速を落とした。・・・僕は深呼吸を一回だけした。直前までの屈辱感はどこかに消え去り、充足感だけが僕を包んでいた・・・。


『ドライブイン大観山』と看板を掲げた建物のある駐車場にヨンフォアを乗り入れた。思えば東京から走り詰めだった。
そして、先刻僕を追い抜いていったカタナもそこに停まっていた。ヘルメットを脱ぎ、カタナの脇に立っているライダーは・・・
やはり、あの日の彼だった・・・。

・・・お互いにとって運命の再会であった。

363: 774RR 2006/02/14(火) 00:01:50 ID:Xo7/stkL
僕は、ドライブインの駐車場でカタナに横付けした。カタナの主はまだヘルメットを被ったままの僕に気さくに話し掛けて来た。
「こんにちは。Zはそのまま真っ直ぐ行っちゃったよ」
そのまま、言葉を続けようとした彼は、ヘルメットを脱いだ僕を見て言葉を止めた。
「・・・キミは・・・」
一度会った人間を忘れない。我が親友の人間的長所は当時も今も変わらない。僕はこんにちはと笑顔で挨拶を返した。
「キミは、・・・確か、え~と、銭湯帰りの・・・そうだろ?」
僕は、クスッと笑ってうなづいた。
「でも、バイクには乗ったことも無いって言ってなかったっけ?あれ?あれ?」
混乱する彼の愛嬌ある姿を見て、僕は吹き出しそうになった。僕は僕をライダーにした張本人にその理由を話し始めた。
それから2時間以上にも及ぶ、大観山での僕らの会話が始まった。

バイク乗りという彼と同じフィールドに立った僕は、初対面の時のような気後れは無かった。僕はキミに憧れて免許をとりバイクを手に入れたのだ、と僕は熱く語った。彼はそれを聞き、ひどく照れくさそうにしていたのを覚えている。
その他にもたくさんの事を話した。お互い、2浪の同級生である事を知った。彼は都内の某大学に通っていて、住所は僕のアパートから駅を挟んだごく近い場所である事を知った。彼もまた、地方出身者で一人暮らしであることを知った。
彼は高校の頃からバイクに乗るベテランである事を知った・・・。小腹をすかせた僕らはドライブインのテーブルに場所を移しても、話が尽きる事は無かった。

不思議だった・・・。他人にやや警戒心を持っていた僕が、たった2回目の出会いで、ここまで打ち解けて話をしたのは初めてだった。バイクの話やライディングの話・・・さらにはお互いの身の上・・・。「そりが合った」としか言い様が無い。
・・・そして、彼の名前が「アナゴ」君である事を知った・・・。

351: 774RR 2006/02/13(月) 05:15:04 ID:MDGNTFnV
あなごさんに対する見方が変わった。

395: 774RR 2006/02/15(水) 00:07:53 ID:llCUY1i0
大観山から臨む雄大な富士の裾野を照らす陽光がやや黄色みを帯びてきた頃、どちらとは無しにそろそろ帰ろうかという事になり、僕らはそれぞれの愛車に跨った。
僕はまだまだ話し足りないという気持ちだったが、あせる事は無い。僕達は友となったのだ。会いたいときはいつでも会い、話したいことがあればいつでも話せば良いのだ。
しかもその帰り道、僕はライダーにとって言葉を交わす以上の「会話」があることを知った・・・。

アナゴ君の後ろについて走る僕は走りづらい下りであるにも関わらず、Zに離されまいと必死に走っていた登りより速く、なにより心地よいペースで走行していた。全ては先行するアナゴ君のお陰だった。
彼は初心者の僕の為のペースを考慮していてくれた。彼の後姿を追うだけで不思議な安心感に包まれた。
ブレーキング、バンク、立ち上がり加速・・・。彼の走りをお手本とするうちに僕のペースは自然と上がってきた。

そのうちに奇妙で、それでいて心地よい感覚が僕を支配している事に気がついた。まるでお互いの気持ちが通じ合っているかのようなのだ。ヒラリと身を翻すカタナ・・・数秒後同じく身を翻す僕。直線部分で豪快に加速するカタナ・・・応えるようにその後を加速する僕・・・。今ここにいる僕達だけが分かち合う最高の瞬間・・・。
沈み行く夕陽で長くなった2台の影法師は、シンクロするように時に重なり合いながら、箱根の山を後にした・・・。

ターンパイクから降りた直後、ヨンフォアのエンジンは一瞬の咳き込みのあと空しく止まった。焦る僕を尻目に、Uターンしてきたアナゴ君は迷うことなくヨンフォアの燃料コックを[RES]の位置に切り替えてくれた。・・・不覚。初めてのガス欠だった。

小田原でバイクの腹を満たした僕らは、海に沈み行く夕陽を眺めながら湘南道路を東京に向かった。

398: 774RR 2006/02/15(水) 00:43:57 ID:llCUY1i0
ターンパイクの下り、そして東京への帰り道・・・。僕はライダーにしか解らない「会話」があることを知った。
これほどまでに他人と心が通い合ったような気持ちになった事は初めてだった。
そしてこれは、その後色々な人と走って解った事であるが、僕にとって最も心地よい「会話」の出来る相手は目の前を走るアナゴ君だった。

僕らの住む街へ戻ってきたのは、午後8時少し前。路肩にバイクを停めた僕らは、腹も減ったので晩飯を一緒に喰う事にした。
駅の駐輪場にバイクを停め、僕は最近開拓した駅前商店街のさらに路地裏に入ったところにある小汚いちいさな定食屋にアナゴ君を招待した。「鮒田食堂」という学生向けの激安食堂だ。
300円のラーメンをすすりながらアナゴ君は400円のコロッケ定食を頬張る僕に言った。
「今日は最高に楽しかったよ。東京に出てきてから、こんな風に走れる仲間が居なかったんだ」
僕らの会話はまたしても止まる事は無かった。

アナゴ君と別れ、部屋に帰りついた僕は心地よい疲労から来る睡魔に襲われ、なんの準備もせずすぐに万年床に横になった。ラジオから流れるサザンオールスターズを聴きながら、僕は今日一日を振り返っていた。

初めてバイクで公道に出た・・・。バイクのあまりの気持ちよさに初めて雄叫びをあげた・・・。車とバトルをした・・・。
峠道を走った・・・。ライディングの未熟さを思い知った・・・。心動かされる風景に出会った・・・。
・・・そして友が出来た。・・・そして、バイク乗りしか知りえない心の繋がりを知った・・・。

僕が生きてきたそれまでの20年の中で、最も濃厚で熱い一日だった・・・。
気象庁が今日、梅雨明けを宣言した事を伝えるラジオの声が遠くに聞こえ、僕の意識は深くまどろんでいった・・・。
・・・僕の熱い夏が始まろうとしていた。

399: 774RR 2006/02/15(水) 01:12:22 ID:4tEf4wFq
海山商事にドキドキしてきた

401: 774RR 2006/02/15(水) 05:44:34 ID:36/7ChGH
サザンオールスターズって言うのがまた何かいいね!!
そーいう時代だったんだろなーって思うわマジ。いやおれ21なんだけどさw

407: 774RR 2006/02/15(水) 22:44:06 ID:wMeoqRfN
箱根での再会からおよそ一週間後、僕とアナゴ君はあの日と同じように鮒田食堂で共に夕食をとっていた。
アナゴ君はこの食堂をいたく気に入り、既に店主のオヤジとも談笑するような常連と化していた。夜の7時くらいに店に訪れると、5割以上の確立で彼に会えた。
今日は、彼と奥多摩に走りに行った帰りだった。2回目のアナゴ君とのツーリングだった。

「フグ田君は、速くなってきたなぁ。キミには絶対、素質があるよ」
その日の出来事を中心とした、そんな感じの話で盛り上がっていた。とっくに食事を終えてオヤジに皿を片付けられていたが、いつものように会話は続いていた。
珍しく奮発したビールと、売れ残りそうだからと店主が差し入れてくれたチャーシューをつまみに、ほろ酔い気分で気持ちがよくなっていたとき、アナゴ君は煙草に火を点けながらちょっとだけ真面目な顔をしてこう言った。
「フグ田君、夏休みに何も予定が無いんだったら北海道へ行かないか?もちろんバイクで。」

西日本を故郷とする僕にとって、日本の北の果てである北海道という場所は、精神的に疎遠な場所であった。
ひどく遠く寒い場所という妄想にも似た認識しか無く、返答に躊躇したがアナゴ君はそんな僕にお構い無しで北海道の魅力を語りだした。
高校3年の頃から夏の北海道ツーリングを欠かしておらず、浪人中でもそれは変わらなかったと言うこと・・・。
浪人中の身でも、北海道には抗えないほどの魅力があるということをアナゴ君は夢中で僕に話した。

・・・やがて僕は彼の話に心を奪われていた・・・。


410: 774RR 2006/02/15(水) 23:02:19 ID:wMeoqRfN
地平線の果てに吸い込まれるような直線路。さいはての名もない港町。ビッグスケールの山岳ワインディング。
気のいいライダー達。旨い飯。無料で快適なキャンプ場。風雨をしのげるライダーハウスという簡易宿泊所・・・。
僕の意識はアナゴ君の言葉を介して、北の大陸を浮遊していた・・・。行った事が無いので想像の世界でしか無いのだが、雑然とした大阪や東京の街しか知らない僕にはまるで外国の話を聞いているようだった。

アナゴ君がここまで言うのだから、きっと素晴らしい所に違いない・・・。僕は北海道ツーリングに俄然興味が湧いて来た。
「いいね、いいね!行って見たいよ!」
と言ったところで、ふと僕は非常に現実的な問題を思い出した・・・。金だ・・・。バイクに乗り始めてからというもの金が以前とは比較にならないペースで消えていた。・・・希望は閉ざされたように見えた・・・。
「・・・でも、金が無いんだ・・・」
僕がそう言うと、アナゴ君は不敵な笑みを浮かべ言った・・・。

「フグ田君、僕らは大学生なんだぜ?何日夏休みがあると思ってるんだ?バイトだよ。夏休みの半分をバイトに当てて軍資金を稼ぐ。そして半分は北海道さ。任せとけ!バイト先なら僕に当てがある」

頼り甲斐のある男の言葉に、再び僕の目の前に希望が開けた。かくして聖地巡礼の準備が始まった。

465: 774RR 2006/02/16(木) 22:50:20 ID:DEgEVlrx
夏休みが始まった直後から、僕は都内各所の道路工事現場で旗を振っていた。
今で言う『ガテン系』の職場に幾つかの伝手があるアナゴ君の紹介で、僕は道路工事現場での交通誘導のアルバイトをしていた。生まれて初めてのアルバイトだった。
簡単だと言われ舐めてかかっていたが、炎天下で立ちっ放しの仕事は予想以上に辛く、労働の厳しさとこれまでの20年は親の保護の元でのぬるま湯生活であった事を思い知った。反面、その対価として支払われる日当を受け取るたび、お金の大事さを実感した。

自分の親ほどの年齢のおじさんや、迫力あるお兄さん達との関わりあいも初めての事であり、現場での人間関係も僕の人間的幅を広げていった・・・。

そして日が沈んだ頃、棒の様になった足を引きずって、既に他の現場で肉体労働を終えたアナゴ君と、店主の親父の馬鹿笑いが外に漏れる鮒田食堂の引き戸をガラガラと開ける・・・。そんな毎日も今日で二週間が過ぎていた。

労働の後にアナゴ君と乾杯するビールは格別だった。僕はそんなアルバイトが嫌いではなかった。

高校まで、その体型と色白の肌で『モヤシ』と揶揄されていた僕。そんな僕の顔は、いまや小麦色に焼けていた・・・。

467: 774RR 2006/02/16(木) 23:12:14 ID:DEgEVlrx
日曜日。体調を崩さぬよう、週に一回は入れた休日を使って、僕とアナゴ君は買出しに出掛けた。
向かうは上野バイク街。目的は北海道ツーリングに向けた装備の充実だ。

今でこそ、上野バイク街の惨状は目に余るものがあるが、当時はバイク用品といえば上野だった。
二人で闊歩するバイク街は、ただ歩いているだけでも楽しく飽きる事は無かった。アナゴ君は店の天井からぶら下げられたヨシムラに口を開けて見とれ、未だ軍手を使用していた僕はグローブ選びに躍起になっていた。
結局、アナゴ君は何も買わず、僕は黒い革グローブとカッパとツーリングネットを買った。どれもが安物だったが、初めてのバイク用品の買い物は嬉しかった。
その帰り、板橋まで足を伸ばし安いと評判の店で僕はクラックだらけだったタイヤを交換した。帰りに、近所のリサイクル店で僕は最後にテントを買った。アナゴ君は店員相手に30分も粘り、それを半額にまけさせてくれた。相変わらず鮒田食堂で飯を喰い、オヤジにはもっと高いものを注文しろと言われ笑いあった。
そして翌日からはまた、労働の日々・・・。

毎日が満ち足りていた・・・。今思えば、少し遅い僕の青春の幕開けだった。

気がつけば、アルバイトに費やそうと決めた4週間が終わろうとしていた・・・。北海道はもう目の前だった・・・。

474: 774RR 2006/02/16(木) 23:57:26 ID:DEgEVlrx
ゴツゴツした現場監督の手から、ご苦労さんという言葉を添えられ僕は夏のアルバイト最後の日給を手にした。ありがとうございました!といつもより大きな声で僕はアルバイトを締めくくった。
これにて大層な額ではないが、北海道へ向かう軍資金が完成した。僕はまた一つ、最後まで何かをやり遂げた。財布の中の全財産を確認し、僕は満ち足りた気分だった。

鮒田食堂には、ほぼ毎日バイク雑誌や地図を持参して北海道ツーリングの計画を練っていた僕らだったが、この日は明日に迫った北海道へのアクセスを話し合った。最終調整だ。
僕らは高速道路などという贅沢な代物を利用できるような余分な金は持っていなかったし、東京や大洗や仙台を出発する中・長距離フェリーもまた同じく、僕らには贅沢な選択だった。

当時のアナゴ君の弁を借りれば、僕らにたっぷりと与えられているモノは若さと時間だった・・・。
となれば残されている選択肢は、国道4号線を東京から青森まで全線走りきるというものだった。

若い僕らに怖いものなど無かった。過去にアナゴ君が行った時は、2~3日掛けてこのルートを走ったようだが、この際一気に青森まで走りきってしまおうと非常に軽率なノリで決定した。鮒田のオヤジは横から止めとけ止めとけと笑いながら言っていたが、すでにオヤジに止められるような僕らでは無かった。

「せっかくだから、国4の起点の日本橋からスタートしよう。渋滞を避けて夜にしよう。明日の午後10時に駅前に集合でいいかい?」

アナゴ君の言葉に僕はうなづいた。・・・いよいよ明日の夜、北の大陸への旅が始まる。

475: 774RR 2006/02/16(木) 23:59:47 ID:+5aDRTFf
エンディング曲
【サザエさん一過】
OIL OIL OIL・
OIL OIL OIL・

大型二台でバトたら♪
白いバイクが追って来た♪
要は魂
要は魂
ライディング♪

(間奏15秒)

ほ~らほらみんなが振り返る♪
サザエさんサザエさん♪
サザエさんは油改だな♪

477: 774RR 2006/02/17(金) 00:19:11 ID:IXGJKmQH
>>475
OILって何かと思ったらトリビアネタかw

508: 774RR 2006/02/17(金) 22:18:42 ID:kM6ftjfi
バイト続きの日が終わると、日中を持て余す事が多くなってきた。
昼間はバイク関連の雑誌を読み漁り、夕方になると鮒田食堂に行くというスケジュールだ。
大抵はそこでアナゴ君と夕飯を食べながらバイク談義に花を咲かせるというのがお決まりだ。

しかしその日はアナゴ君が姿を見せなかった。珍しいなと思いつつも、とりあえずビールと定食を注文する。
定食を肴にビールを飲む。テレビでは暴れハッチャクをやっている。
ふとブラウン管の中にバイクが写ると、脳裏に何か大切な事を思い出した様な気がした。

「しまった・・・」僕は絶句した。
今日はアナゴ君と北海道ツーリングに行く日だったのだ。集合予定は午後10時。
今から向かえば間に合う事は間違いない、しかしビールを飲んでしまった・・・
僕は早々と自宅に戻り寝た。


  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/


512: 774RR 2006/02/17(金) 23:39:39 ID:mWHYJ9UF
>>508
バッタもんかw

510: 774RR 2006/02/17(金) 22:27:05 ID:NA0oF10N
あー、びっくりした

514: 774RR 2006/02/17(金) 23:43:50 ID:IXGJKmQH
安心した

521: 774RR 2006/02/18(土) 00:21:18 ID:xCftnfQw
出発当日の昼、僕は洗車をした。大切な一張羅は、大切な日に臨んでピカピカにしておきたかった。
特にお気に入りだったヨンフォアの美しく艶かしく曲がる四本のエキゾーストパイプを入念に磨き、少し離れて眺めては、おそらく世界で最も格好よいと思われる我が愛車の佇まいに惚れ惚れした。

夕方、早めの飯を喰いに鮒田食堂へ行く。アナゴ君は居なかった。帰り際にオヤジは、おぅ気をつけて行ってこいやと言い、おばさんは大袈裟に店の外まで出てきて僕を見送ってくれた。
頭上の夏雲は黒く変色し、夕立が降りそうな気配だったが、遠くに見える北東の空は明るく、雲の切れ間から紫色に染まりはじめた宵の空が見えており、今晩の出発時には雨の心配は無いように思えた。
まだ、3時間くらいは時間がある。振り出した夕立の音が少し気になったが、僕は今晩敢行しなければならない青森までの大移動の為に、少し眠る事にした。

目覚まし時計で目が覚めたのは午後9時。おかしな時間に目が覚めてやや寝ぼけていた僕は、これから何をするのか、という事を思い出し一気に目が覚めた。
既に用意してあったツーリング用品で膨れ上がったスポーツバッグ。現在のような容量可変式シートバッグなどというツーリング専用の気の効いたものなど持っていなかったし、そんな貧乏臭さが許された時代でもあった。
僕は、毎週の小さな楽しみだった今晩放送の中島みゆきのオールナイトニッポンにやや後ろ髪をひかれつつさてと、と呟き意を決してバッグを片手に、狭い部屋を後にした。
初めてヨンフォアのタンデムシートにツーリングネットで荷をくくりつける。前後に力を掛けた時のずれ動きが気に喰わず3度もやりなおした挙句、納得のいくシッカリ感でくくりつけられた僕のバッグはシートに巻きつくように変形していた。
ヨンフォアのエンジンに火を入れると、これから少なくとも十数日間はお世話になる愛車に声に出して頼むよ、と言った。

雨はすでにあがっていた。昼間の灼熱地獄がウソの様だった。しっとりと湿った路面のお陰か、気持ちのよい夜の涼しさの中を駅に向かう。

駅前の小さなロータリーの片隅に、やはり荷物満載のカタナと煙草を吹かすアナゴ君の姿があった。

523: 774RR 2006/02/18(土) 01:07:54 ID:xCftnfQw
「待たせたね。準備万端だよ。さぁ、行こうか!」
カタナの後ろにヨンフォアを停めた僕は、エンジンも切らず、ヘルメットも脱がずこう言った。出発が待ちきれ無かったのだ。逸る気持ちを抑えきれない僕を見て、アナゴ君は呆れたように笑顔を浮かべると少しおどけて「了解~!」
と敬礼ポーズをしながら応えた。早速、僕達は日本橋の国道4号線起点へと向かった。

午後10時半の東京日本橋はまだ眠るには早い時間であり、多くのサラリーマンやお洒落な格好をしたカップル達が歩いていた。
そんな場所に不釣合いな二人のライダーは、人目もはばからず国道4号起点となる標識の下で記念撮影をした。
僕が上京した時の荷物の中で、唯一「大切なもの」という認識を持っていた父の形見のニコン。アナゴ君が道行くサラリーマンを捕まえシャッターを押させた。後に現像されたこの写真。二人の若者の目は輝いていた。
そう・・・僕達は、まだサラリーマンでは無かった・・・。輝ける生命力と未来と青臭さを兼ね備えた「若者」だった。

日本橋で目的を遂げると、遂に僕達は総行程700km以上にも及ぶ国道4号線走破の難業に立ち向かうのだった。

聖地巡礼の旅は、そこに赴くまでの道程に待ち受ける困苦を越えて行くことにこそ意味があり、だからこそ聖地は聖地足り得るのである。古くは天竺に向かった玄奘三蔵、イスラム教徒のメッカ巡礼、日本でも四国八十八ヶ所巡りの遍路等が有名であるが、この国に住むライダーにとってはそれが北海道へと向かう道程なのかも知れない・・・。
・・・聖地へと伸びる国道4号線の旅は、想像以上に僕にとって困難な道程であった・・・。


525: 774RR 2006/02/18(土) 02:07:37 ID:xCftnfQw
一向に眠る気配の無い不夜城東京を、喘ぐようにすり抜けを繰り返し脱出する僕とアナゴ君。
暗くない夜空がバックミラーを介してまだ確認できる春日部を抜け出す頃には、すり抜けの回数も減っていた。
夜の国道4号線は一般車両の台数が大幅に減る分交通の流れは良いのだが、その流れの良さを利用して高速料金を節約しようという、トラックが多くライディングはそれなりの緊張を強いられた。
宇都宮で最初の休憩を取った。東京からおよそ100km。日付が変わっていた。まだ疲れなど無かった。
そのまま郡山・・福島・・・と順調に距離を伸ばした。当時、それほど多くなかった夜間営業のガソリンスタンドを見かけるたび、余裕を持った給油を心がけた。車も少なくなり、前後にもそして交差する道路にも一台も車のいない深夜の赤信号ストップは、早朝の心地よさとも異なった不気味な静けさに包まれていた。遥か先に明滅する歩行者のいない横断歩道信号の緑色が寂しげだった。赤信号の度に僕とアナゴ君は短い会話を交わした。

・・・若さにまかせた根拠の無い自らの体力への自信が揺らいだのは、仙台付近である。急激に両肩付近の筋肉が重くなり、腰が痛くなってきた。腰に左腕をあてがったり、肩を回す仕草が多くなってきた僕を見かねたのだろうか。アナゴ君は一関付近で長めの休憩を取ってくれた。

シャッターの下りた商店の自動販売機前で二人で缶コーヒーを飲みながら、静けさと地図上の距離と今まで走ってきた時間と僕が知っている8月の空気より遥かに肌寒い気温で、既にもの凄く遠いところまでやってきたのだという実感が湧いてきた・・・。

あと一時間もしないうちに夜が明けるだろう。まだまだ走らなければならない・・・。僕は少し体力に不安を感じ始めていた・・・。そしてその予感どおり、辛いのはここからだった・・・。

それにしても・・・。地面に両足を投げ出して座り、疲労を隠せないでいる僕の隣で、ツラッとした顔をして函館に着いたらイカを喰おう、などと言っているこの男・・・。バケモノか・・・?


529: 774RR 2006/02/18(土) 12:35:46 ID:BOBS4cmJ
> 頭上の夏雲は黒く変色し、夕立が降りそうな気配だったが、遠くに見える北東の空は明るく、
>雲の切れ間から紫色に染まりはじめた宵の空が見えており

情景のビジュアルが良い (・∀・)


543: 774RR 2006/02/18(土) 19:18:28 ID:PBdAJ/qu
正直なところ、僕はこの国の広さを舐めきっていた。教科書で見る、比較対照が「世界」の地図の中では、日本という国は塵のように小さな存在であり、そんな小さな国土の中で一喜一憂している他人を傍観しては、なんてせせこましいなどと悟ったような顔をしていたのかも知れない。それもこれも無経験と、それからくる想像力の欠落が原因だった。
だが、極東の島国は、想像していた以上に広かった・・・。しかも、なにも日本を縦断しようとしているわけではない。
たかだかこの国の四分の一弱程度の距離を移動しようとしていただけなのだ。そのうえ、その途上でこのありさま・・・。
それでも、今思えば実体験として自らの住まう国の広さを感じる事が出来たのは、良い経験だったのかも知れない。

僕は相当にくたびれていた。左右の尾てい骨も、腰も、背筋も、肩も、首も・・・凝り固まったり痛みが襲ってきたりで、限界に達していた。姿勢をずらしたり、走りながら軽くストレッチをしたりもしたが、その場しのぎでしか無かった。
アナゴ君だけは、東京を元気にすり抜けしている時と違わぬフォームで走っていた・・・。

盛岡のあたりで、空が白けて来たことに気がついた。もうすぐ夜明けだ。実はここから先青森までは、国道282号線に進路を切り替え、十和田湖の西を抜けるルートの方が近いのだが、当初の予定では4号線を青森まで走破する目的を立てていた為、近いルートに変更するかい?と聞いてきたアナゴ君にも全然大丈夫だ、と大見得を切った。
もはやそんな意地だけが僕の走る原動力だった。これまでは少しでも辛いとすぐに諦めていた僕だったが、ことバイクの事に関しては、諦めたり弱音を吐いたりする事だけは自分の中で許せなかった。


544: 774RR 2006/02/18(土) 19:19:13 ID:PBdAJ/qu
前を走るアナゴ君が、あれを見ろと指を指す。岩手山だ。完全に太陽は昇っておらず地上はまだ薄暗かったが、左手に見える岩手山山頂には一足先に太陽の光が当たっていた。信仰の対象となる程の美しさを持つ岩手山。その山頂が東から浅い角度であたる朝日を浴びてキラキラと輝き、さらにその美しさを増していた。
ほどなくしてゆらゆらとオレンジ色に燃える太陽が東から姿を現す。そうだ。僕は朝日を見るのは初めてだった・・・。
朝日は夕陽よりも色が濃いように思えた。バイクに乗っていなければ見ることが無かったであろう風景・・・。
そんな、風景の移り変わりが僕の疲れを一時忘れさせ、唯一の走る原動力となっていた。

太陽は完全に昇り、漆黒の闇をひたすら走ってきた夜が明けた。僕はすでにバイクの上で体を動かす事すら辛かった。
遂にアナゴ君も肩を回し始め、彼にも疲労が襲ってきたことが見て取れた。

計画の無謀さや、ショートカットルートを選択しなかった事に後悔の念を感じ始めていた頃、僕達は白字で『青森県』と書かれた四角く青い標識を通過した・・・。もうすぐ・・・もうすぐだ・・・。

556: 774RR 2006/02/19(日) 00:25:38 ID:ZmxhGHI7
不思議な感覚だった・・・。疲労がピークを越えた時、それまで感じていた体の各部の痛みや辛さが消えていくのを感じた。いや、消えて行ったのではない。感じてはいるのだがそれに支配されていないと言ったほうが正確だろうか・・・。休憩も欲しない。いや、 止まりたくないと言ったほうが良いだろう。
視野は極端に狭くなり、進む先一点のみに集中している。疲労で拡散していた意識は、逆に非常に細く集中し、周囲の何物とも隔絶された一本のピアノ線の上を走るような感覚だった。

ライダーズ・ハイとでも言おうか・・・。その時の僕自身は、格段にコンセントレーションが高まっているような錯覚に支配されていたが、それはあらゆる意味で非常に危険な状況下に身を置いていることに違い無かった。

すでにどこをどう走っているのかも認識していないし覚えてもいなかった。我に返ったのは眼前に海が広がった時だった。

危険な感覚に支配されたまま走り続けた僕は、気がつくと下北半島の付け根に居た。リスクの高いこの状況下で、何事も無くここまで来れたのは幸運だった。
この野辺地という小さな寂れた漁師町は、青森市の東方約30km程に位置しており、僕らの国道4号走破大作戦も最終段階に入っていた。
再びやってきた疲労をなだめながらも、内海の穏やかな水面や北国の旅情を感じさせる朽ち果てた漁番屋を眺めながら進む、早朝のさいはての地は心地よかった。
海へと落ち込む断崖の岩肌をくり貫いたような迫力ある道を過ぎると、前方に青森の市街地が見えてきた。
それを確認したアナゴ君は振り返ると僕に向かって左手の親指を突き立てた。
既に、通勤ラッシュが始まりかけていた時間だった。

・・・走った・・・。とにかく走った・・・。そして、走り遂げた・・・。昨晩まで東京に居た僕らは、今、青森に居る。

僕らは青函連絡船ターミナルのベンチに転がり込むように倒れこんだ。二人とも引きつった笑顔だった。
カモメの声が聞こえた・・・。遠くで霧笛が鳴っていた・・・。

558: 774RR 2006/02/19(日) 01:02:19 ID:ZmxhGHI7
「いや参った、参った。まさか、こんなにくたびれるとはね~」
アナゴ君はそう言いながら、ハイライトに火を点けた。深い息で白い煙を吹き出すと、僕の方に煙草の箱を向けてきた。
僕はアナゴ君からもらった生まれて初めての煙草を吸った。むせ返ったが、青森到達を成し遂げたのと相まって、少しだけ大人になれたような気がして気分は爽快だった。

一服してふとあたりを見回すと、たくさんのバイクとライダー達が、北への渡航を今か今かと待ち構えている光景が目に入ってきた。
まだ免許取立ての僕にとって、これだけのバイクとライダーが揃っているのは見た事が無かったし、彼らは皆、歴戦のツワモノに思えた。その光景は出陣をまつ騎馬武者の軍団のようだった。

函館までのチケットを買った直後、ろくに体を休める間もなく、移動が始まった。自走による連絡船内へのバイクの格納である。
道路以外の場所にバイクを乗り入れるのは始めての体験だった。滑りやすそうな鉄のタラップや床にペイントの施された船内に、緊張しながらバイクを乗り入れる。

僕とアナゴ君は、甲板で出港を待った。
短く霧笛が鳴り、船は離岸を開始した。船が港を離れると、安堵感ともう誰も僕達を止められないという思いが湧き上がり、北海道への期待はいやがうえにも最高潮に高まっていた。
夏の潮風が心地よかった。連絡船の白い航跡が、国道4号線をひた走ってきた僕らの道程のなごりのように海の上に真っ直ぐと伸び、消えていく。

ふと、耳に『津軽海峡冬景色』が聞こえてきた・・・。冬を題材にした曲であるが、8月の今でも最果ての地から本州をあとにする僕の心情に少なからず染み入り、旅の気分をさらに盛り上げた。
・・・歌っているのがダミ声のアナゴ君でなければ、もっと感動できたのであろうが・・・。

僕達は今、海を越える。

561: 774RR 2006/02/19(日) 17:09:46 ID:AVuDpdNW
青函連絡船摩周丸の二等船室で、会話の随所に『イカ』という言葉をちりばめ食欲に燃えていたアナゴ君も、僕が用を足しに立った3分あまりの間に豪快なイビキを立てて完全に熟睡していた。
750ccの巨躯を軽々と操りステップをアスファルトに擦り付けコーナーを抜け、僕なんかよりも遥かに平気な顔をして青森まで走りきる男も、やはり疲れていたようだ。僕は、彼もまた人の子であることに妙な安心感と親近感を覚えながら、やはり体を横たえた。4時間弱の船旅。ライディングで張り詰めた気持ちが緩んだのか襲ってきた
睡魔に、僕は身を委ねることにした。

「おい、キミ達。起きろ~。もうすぐ着くぞ!」
見知らぬ男二人に、僕は起こされた。いでたちからして彼らもまた学生ライダーのようだ。僕が起きた事を確認し、彼らは立ち去る。船はまだ動いているようだが、他の乗客も下船の準備をしていた。
未だ深い眠りにつくアナゴ君を起こすには少々手間取ったが、僕らも急いで身支度しバイクの元へ向かった。

貨物室は異様な雰囲気に包まれていた。ライダー達は皆、そわそわしているようだった。一様に言葉少なだったが ゲートの開くのを待つ競走馬のように待ちきれない雰囲気が伝わってくる。僕もまた、期待に胸が震えた。
イカの事ばかり話していたアナゴ君も、既にヘルメットを被っている。バイザーの隙間から覗くその垂れ目は、やはり僕と同じように少し真剣な眼差しになっている。

接岸したのだろうか。小さなショックを感じた少しのち、ハッチが開き始めると、誰かが回したセルモーターの音を合図に、旅人達それぞれの愛馬が一斉に雄叫びを上げ始める。その光景は壮観だった。自分もその中の一人であることが嬉しかった。

薄暗い貨物室から意気揚々と地上に降り立つヨンフォア。僕の視界は一瞬ホワイトアウトした。快晴だった。
僕は遂に北海道の地に降り立った。
・・・正午を少し過ぎていた。北海道の空は、関東のそれよりも深い青を湛え、僕達を出迎えてくれた。

562: 774RR 2006/02/19(日) 17:56:28 ID:AVuDpdNW
うるさいアナゴ君を黙らせる為、早速函館の市場近くの店でイカを食す。驚いた。イカは本当は透明であることを知った。そしてその味は、これまで僕の食べていた白いイカはイカではなく、『元はイカだった何か』である事を知った。アナゴ君がイカイカうるさいのも理解できた。

腹を膨らませた後、僕達は4号線を走りつめた体を休ませる為、今日は休息日とすることにした。疲れた体で走っても楽しさが半減しそうだったからだ。
函館ですこしゆっくりした後、僕達は函館にほど近い大沼キャンプ場にテントを張った。
晩飯はカップラーメン。そして一本の缶ビール。本州で感じた夕暮れの蒸し暑さは北海道には無かった。優しい風と本州よりも何倍も美しい夕焼けが、疲れた僕らを癒してくれた。
コッヘルの湯を沸かすストーブの炎を眺めながら、僕達は星の輝き始めた暮れ行く空のもとで語り合った。

思えばキャンプをするのは始めての体験だった。仰向けに転がると、満天の星空が広がっていた。
圧迫されそうなほどの星の数。こんなに星を見るのは初めてだった・・・。

夜も更け、お互いのテントに入り眠りに着く事にした。
僕はリサイクル店で購入した古びたテントの天井を見つめて物思いに耽っていた・・・。
・・・イヤというほどバイクで走ったり、青函連絡船に乗ったり、新鮮な本物のイカを知ったり、初めてキャンプをしたり、無限とも思える星空に身を委ねたり・・・。
バイクとアナゴ君に出会ってからというもの、たった2ヶ月ほどの間に『初めて』の事をたくさん経験した・・・。
明日はどんな『初めて』が僕を待ち受けているのだろうか・・・。これまで目的無く、ポジティブに生きてきた20年の時間が、既に遠い昔の事の様に思えた・・・。そんな事を考えつつ、いつしか僕は眠りについていた。

いつだってバイクは僕にとって喜びと快感を与えてくれる存在だったが、思えばこの時期がもっとも『初めて』の刺激に胸を高鳴らせていた時期だったかもしれない・・・。バイクに乗りたてのあの頃が、もっとも色濃く思い出に残る宝石のような時間だったのかも知れない・・・。
あなたも、そうではなかったろうか?

578: 774RR 2006/02/21(火) 00:00:31 ID:TeHaPVR3
北海道上陸二日目。内浦湾岸を走る僕は、違和感にとらわれていた。
確かに、車は少ないし道路も走りやすい。景色だってそこそこ良い。しかし、快適なシーサイドラインであるが、進行方向左側に海に侵食されたような山肌が迫り、決して開放的な景色ではない。これは僕の想像していた北海道とは違っていた。
アナゴ君の話や、雑誌の記事から想像を膨らませた、僕の北海道像とはどこか噛み合わないのだ。僕はもっともっと雄大な景色を想像していた。それは地平線の果てに吸い込まれて行くように伸びる道や、地平線を感じられるような牧草地帯だったが、この『道南』という地域を走る限りそれらを感じる事が出来なかった。
やはり、雑誌に載っているような場所というのは限定された場所でしかないのか、と僕は思い始めていた。
確かに快適ではあるが、1ヶ月ほどのアルバイトの成果をつぎ込むにはどうも何かが足りない気がしていたのだ。
そんな違和感を感じる僕を尻目に比較的休憩をよく取るアナゴ君は、まるで誰かとの約束の場所へ向かうように一心不乱に走っていた・・・。

しかし苫小牧付近から、内陸部へ入り込み少し行くと、風景は一変した・・・。
あたり一面に緑色に広がる牧草地帯や耕作地帯。そんな見晴らしの良い景色の中に点在する『防風林』と呼ばれる一直線に植えられた数十本からなるカラマツ。本州の距離感とはスケールの異なるほど遥か遠くに霞む十勝連山。
・・・そして、なにより空が広い。目に飛び込んでくるスカイブルーの面積が・・・あまりにも広すぎる・・・。
「うはぁ・・・」
と僕は情けない声を漏らした。そして遂に現れたのはそんな風景の中をまっすぐにぶち抜く様な直線路。もはやその先は霞んで見えない・・・。
先行するアナゴ君はそのどこまでも続く直線路を確認するとカタナのステップに立ち上がり、両の拳を天に振り上げガッツポーズを取った。そして僕の方を振り返り、会心のVサイン。

ゴメンなさいアナゴ君、ゴメンなさい北海道・・・疑ってゴメンなさい。僕は無知でした・・・。まさか、この日本にこんなライダーにとって天国のような場所があったなんて知りませんでした・・・。

北海道は想像通り・・・。いや、僕の想像を遥かに超えた地上の天国だった。

580: 774RR 2006/02/21(火) 00:28:05 ID:nDikuhaI
     / ̄⌒⌒ヽ
      | / ̄ ̄ ̄ヽ
      | |   /  \|
    .| |    ´ ` |
     (6    つ /   ・・・
    .|   / /⌒⌒ヽ
      |    \  ̄ ノ
     |     / ̄

581: 774RR 2006/02/21(火) 00:29:08 ID:v3hXemon
上陸から1週間。僕は、北海道の旅を心の底から満喫していた。
富良野周辺のパッチワークのような畑の広がる丘。空に吸い込まれそうなオロロンラインを走りぬいた末に辿り着いた最果ての宗谷岬。北国の旅情を感じさせる小さな港町で食べる海の味覚。どこに行っても現れる気持ちの良い直線路・・・。

しかし、僕にとって北海道の楽しみは旅そのものだけでは無かった。もう一つ密かにこの旅に臨んで目標にしていた事を実行していたのだ。それはアナゴ君にも秘密の計画だった。
・・・それはアナゴ君の『速さ』を盗み取る事だった。

僕は彼との間に一つの取り決めを結んでいた。・・・峠道やワインディグロードでは、僕のことを気にせずに思う存分走ってくれ、と・・・。
ひととき初心者の僕の面倒から解放されるアナゴ君には悪い話では無かっただろうし、僕としても全力で走る彼の走りを間近で見るチャンスでもあった。
当初は、峠のたびに早々にアナゴ君に置いていかれ、しばらくすると見えてくるバイクの傍らで煙草を吹かし僕を待つ彼の姿を見るたびに悔しい思いで居た。しかし、ここ2~3日は彼に一服させない程度の遅れにおさめていた。

僕は日増しに自分の走りが速くなっていくのを感じていた。アナゴ君の後姿を見ていられる時間が増えるということはすなわち僕にとっての授業時間が増えるという事であり、さらに僕の峠道を走るペースは加速していった。

・・・そして今、僕は名もない高低差の無いワィンディングでアナゴ君を追っていた・・・。
立ち上がり加速ではさすがにカタナには敵わないものの、ヨンフォアの軽量さを生かしたコーナーリングでカタナは常に僕の射程内に納まっている。イイ・・・。今日は調子が凄くイイ。乗れている!

582: 774RR 2006/02/21(火) 00:47:46 ID:v3hXemon
遠心力と重力とが絶妙にバランスしたコーナーリングとは、かくも気持ちいいものか・・・。コーナーをクリアするたび僕と地面の距離は少しずつ近づいてきていた。そして、ついに僕は初めて路面にステップを摺る・・・。
どのくらいバイクが傾いているのかを具体的に報せてくれるステップの接地は安心感をもたらし、その安心感は快感に変換される。

景色なんて見ていなかった。僕は走りに没頭していた。気持ちいい・・・。こんな気持ちのよいことが他にあるのであろうか?その時の僕ならハッキリと無いと断言できた。
右に左に繰り返すコーナーリング。僕は意識的にほぼ確実にステップを摺れるところまでになっていた。

僕は舞い上がっていた。バイクを自在に操ることの快感は僕のドーパミンの分泌を加速的に促す。
アナゴ君もまた、この偶然見つけた素晴らしいワィンディグを駆け抜ける事に没頭し僕と同じようにある種の躁状態になっていた。僕が引き離されず着いてきている事に気がついていないようだった。

僕はその時、アナゴ君と同じペースで走れる事にある意味自惚れていたのかも知れない・・・。もしくはあまりの快感に、冷静な判断力を失っていたのだろうか・・・。
同じペースで走っていても、アナゴ君と僕の間に決定的に違う事があった事にその時は気がついていなかった。
それは、経験値をベースにした余裕とでも言おうか・・・。
アナゴ君と僕とでは、やはり技術的な懐が違っていた。僕の120%はアナゴ君の80%だとでも例えればよいだろうか・・・。

それは突然の出来事だった。それまでとは違うややきついコーナーでそれは起きた。
フロントの一瞬のフワついた感じを覚えた直後、ヨンフォアのシートの上に居たはずの僕はアスファルトを滑走していた・・・。

何が起きたのか・・・、解らなかった・・・。

598: 774RR 2006/02/21(火) 23:17:55 ID:F5UXEo/J
オープニングはどんな曲だったっけ?

601: 774RR 2006/02/21(火) 23:38:45 ID:Y8rZqR1g
>>598
お魚くわえたドラ猫♪追い掛けて~♪はだしで、かけてく、愉快なさざぁーえさん♪
みんなが笑ってる~♪子犬も笑ってる~♪う~ぅうぅっう~、今日もいい天気~♪

606: 774RR 2006/02/22(水) 01:03:27 ID:QEPNIigO
どうして僕はアスファルトの上を転がっているのか?なぜさっきまで跨っていたバイクがあんなところを滑走している のか?・・・あまりに一瞬で、また初めての出来事に僕は何が起きたのかすら把握出来ないまま、ただ慣性に まかせてひたすら転がった。ただ転がっているだけでも、アスファルトとは硬いものなのだという事実が、肘や膝や 腰骨を襲う容赦ない衝撃で実感できた。

実際のところやや回り込んだコーナーでの出来事であり、70km/hも出ていなかったように思う。その程度の 速度の転倒では、人間の体は比較的すぐに止まるものだし、どこかにぶつかりさえしなければどうという事は無い。
しかし、装備を怠っていればひどい擦過傷は免れないスピードであるし、倒れたバイクは思いのほか良く滑走して行くものだ。

ジャケットを着ていた僕は、色々なところを打ったような気がするが無傷だった。・・・が、精神的なショックは相当な ものであった・・・。やってしまった、という焦りと愛車を転倒させてしまったという後悔と屈辱の混ざり合った気分・・・。
一言で言うと無様な気持ちで一杯だった。・・・すぐに立ち上がり当たりを見回した。
アナゴ君は、すでに見えなくなっていた。そして、もう一つ見えなくなっていたもの・・・愛車だ。ヨンフォアはどこに?

北海道の道路の多くは雪害対策のためであろうか、地面から盛り土によって一段高いところに造られている。北海道 特有の見晴らしの良い開放感はこのあたりからも来ていると思われるが、転倒現場の道路も大人の身長より やや低い程度の土手を介して牧草地へと落ち込んでいる。
・・・その土手の中ほどでヨンフォアは左側を下にして、フロントを牧草地に向けて止まっていた。・・・僕は、一心不乱で ヨンフォアに駆け寄った。ヨンフォアの元に辿りつくまでが異様に長く感じられた。無事であってくれ・・・と、祈った。

607: 774RR 2006/02/22(水) 01:04:28 ID:QEPNIigO
倒れたままのその状態でとりあえず各部をチェックする。左ミラーが折れていた。クラッチレバーもあらぬ方向に捻じ曲がっている・・・が、フロントフォークが捻じ曲がったり折れたりはしておらず、他のどこにも何かと激突して破壊したような場所は無いようだった。エンジンを掛けて確認したくてヨンフォアを起こそうとするが、傾斜のついた土手である為、なかなか思うようには行かなかった。

必死で土手の中腹でバイクを起こす。バイクを体に寄りかからせたままスターターを回す。掛からない・・・。焦りが見えてきた5回目の始動で、ひどくカブりながらヨンフォアのエンジンは目を覚ました・・・。ホッとした・・・。

僕は一旦エンジンを停め、ヨンフォアをそのまま道路上に引き上げようとした。が、傾斜地である事や足元が不安定な草地である事、そしてフロントが道路の方を向いていなかった事で、何度試みても上がる気配すらない。
「ダメだ~」
汗だくの僕は、とりあえず自力での脱出を諦めた。そのうちアナゴ君が戻って来てくれる。そうしたら手を借りよう。
サイドスタンドは、土手の草地には役に立たず、仕方が無いので再びそっとヨンフォアを草の上に寝かす。思えば一旦下までバイクを降ろしてから、バイクの自走で土手を駆け上がることも可能だったはずだ。しかし気が動転している僕に、そんな冷静な選択肢は頭から完全に除外されていた。
そして、息が完全に上がり汗が滴り落ちていた僕もまた、その土手の上に大の字に仰向けに寝転んだ。

寝転んで見る空は美しかった・・・。怖いほどの吸い込まれそうなスカイブルー。呼吸が落ち着いてくると、この場所が静寂に包まれた場所である事に気がついた。
風の音と時折聞こえる鳥のさえずり・・・。それしか聞こえない・・・。火照った顔を冷やす涼しい風が気持ちよかった。

608: 774RR 2006/02/22(水) 01:05:47 ID:QEPNIigO
大阪からも、東京からも遥か離れた北の大地。2ヶ月ほど前まで、昼間から部屋の中で寝転がる僕の目の前の光景は、2.5mほど先の古びたアパートの汚い天井だった。それがどうだ。何の縁か、僕の眼前には北の大地を覆う無限とも思える濃い青空が広がっている。

ふと思う。僕はバイクに出会っていなければ、今頃何をしているはずだったのだろう・・・。暇な夏休みの昼下がり。
もしかしたら実家に帰省していたかも知れないが、どちらにしろゴロゴロしているのが東京か大阪かの違いであろう。
することといえば、せいぜい発売されたばかりのファミコンに興じているくらいだろうか・・・。そして、ほとんど誰とも話さず、何の思い出も作らないまま20歳の夏は終わるのだろう・・・。
・・・しかし、今は違う・・・。僕は最高の夏を過ごしている・・・。自ら操るバイクでヘトヘトになりながら北海道まで辿りつき最高の景色に出会い、最高の道を走り、ライディングという最高の悦楽の中に身を置いている。そして毎晩のように友と語らって過ごす・・・。・・・友?
・・・友。そうだ・・・今こうして、最高に幸せな青春に身を置けているのは、最高の友アナゴ君の存在のお陰だ・・・。
彼が僕を小さな6畳間の鬱屈した世界から救い出してくれた救世主でありヒーローなのかも知れない・・・。全ては彼と出会った縁から始まったことだった・・・。

・・・カタナの音が聞こえてきた。僕のヒーローが僕を探しに戻ってきた・・・。来るのが遅いよ、待ちくたびれたぞ。

土手の中ほどに倒れたバイクと、その傍らに大の字になった僕に驚き、やや青ざめた顔をしたアナゴ君が、寝転ぶ僕の視界に逆さまに飛び込んできた。
「フグタ君っ!大丈夫か!」

その彼の慌てぶりが可笑しくて、僕は上体を起こしながら少し笑った。動いた僕を見てアナゴ君は少し安心した顔をした。僕は僕の救世主に向かって言った・・・。

「アナゴ君・・・。ありがとう。」

突然の僕の意味不明なセリフに、アナゴ君は戸惑いながら
「フグ田君、頭でも打ったのか?急に動いちゃダメだ。どこを打ったんだ?」
と再び心配しだす。
そんな彼を見て僕は声を上げて笑った。笑い声はどこまでも広い夏の青空に吸い込まれていった・・・。

613: 774RR 2006/02/22(水) 06:39:25 ID:GBQDvbI1
おれも事故った事あるけど、星がキレイだったなぁって思い出したw

感想とかレス消費かな?逆に作家さんも全く反応無いと書いても
つまらんのじゃないかとも思うんだがどうなんでしょ…

631: 774RR 2006/02/24(金) 00:40:22 ID:8mdtiDEa
その彼と出会ったのは、僕が初転倒を喫したその日だった。

転倒現場からほど近い、小さな町の自転車も一緒に売っているような小さなバイク屋。勝手に探せ、という店主の言葉に甘えて店裏の倉庫でジャンク部品の中から曲がって操作困難なクラッチレバーと、折れた左ミラーの代用品を見つけると、カネは良いからこれを持ってけ、と渡されたとうもろこしをネットに挟み僕らはだだっ広い牧草地を貫く直線路を走っていた。
思いがけないトラブルで、今朝予定したキャンプ地まではもう少し距離があるのだが太陽は既に上を仰ぎ見なくても視界に入る角度まで降りてきており、道路わきの牧草地にまで2台の影は届いていた。

周囲には何も無い。そんなどこまでも続く夕暮れの直線路で、バイクを押す男の姿が前方に見えた。
トラブルだろうか?アナゴ君はそんな人間を放っておける人間ではない。僕もまた彼のブレーキランプが点く前から停止体勢に入っていた。

スズキDR250Sというオフロードバイクを押す男に、どうしたんですか?と声を掛けるアナゴ君。
すると、僕らより少しだけ年上のように見える、長身でガッチリした体格のその彼は真っ黒く日焼けした顔で 「ガス欠~!」と笑って言った。どこから押してきたのだろうか、汗だくだった。

「林道で道に迷っちゃって~。やっと舗装路まで出てこれたと思ったら、今度はガス欠だよ」
彼は路肩に座り息を切らしながらそう言った。
大丈夫、大丈夫と彼は言ったが、ガソリンスタンドがこの先何キロ無いのかすら解らないし、何よりもう陽が沈む。
放って置けるはずは無かった。
しかし、僕らは自分達のバイクからガソリンを抜くような道具を持っていなかったし、タンクを外してコックから移そうかとのアナゴ君の提案には、それは本当に悪いからやめてくれと彼は言う。

ここでの野宿をほのめかした彼の言葉を聞きアナゴ君はカタナに跨りエンジンを掛ける。
「ガソリン、買ってきますよ!待っててください!」
そういうが早いか、アナゴ君は猛加速で地平線の彼方に消えていった・・・。
残った僕に彼は言った。
「いい友達だな」
僕は笑顔で頼りになるヤツです、と答えた・・・。

633: 774RR 2006/02/24(金) 00:41:38 ID:8mdtiDEa
アナゴ君を待つ間、僕はガス欠さんと沈み行く夕陽を眺めながら言葉を交わした。
彼の名は鈴木さんと言って、東京の商社に勤める社会人2年目の24歳とのことだった。夏休みに有給休暇をつけて学生時代から毎年恒例の北海道ツーリングに来たという。
名前とバイクのメーカーが同じですね、と僕が言うとそれは偶然で、もう一台所有するCB1100Rと一年おきにオンロードツーリングとオフロードツーリングを楽しんでいるのだと言う。
そして社会人である鈴木さんは、明後日には東京に帰ってしまうとのことだった。

そんな会話をしていると、空も暗くなってきた。
アナゴ君の帰りが遅いことを心配しかけた時、カタナの鋭いヘッドライトの光が、地平線の彼方に現れた。
アナゴ君は、ガソリンスタンドでもらった4Lオイル缶にガソリンを入れて戻ってきた。

その後、北海道の足の速い夕暮れに急かされるように僕達3人は夜のテント設営を諦め、ライダーハウスに飛び込んだ。
荷物を置き、近くの小さな焼肉屋に飛び込むと、鈴木さんは大量の肉を注文し、僕らに笑って言った。
「今日は世話になったからな。俺のおごりだよ。どうせキミら、ろくなモン食べてないんだろ?」
「いいんですか?」
顔を見合わせる僕らに鈴木さんは煙草を吹かしながら言った。
「社会人だからね。金の心配はいらないよ。俺だって学生時代は金が無かったからな~。それに、学生時代に北海道を回った時に知り合ったオジサンにおごって貰ってね。その人言ったんだよ、俺にお礼なんていいからお前が金に余裕の出来た時、貧乏な若者に良くしてやれってね。」

今日は僕もトラブルがあり疲れていた。だから3人で乾杯したビールは格別だった。あの時生まれて初めて食べたジンギスカンの旨さは今でも忘れない。
僕の転倒話を酒の肴に、楽しい夜は更けていった。僕らより年上である鈴木さんの、普段の同年代との会話では決して聞けないような含蓄ある語りに僕達は引き込まれていった・・・。

バイクを中心軸にした運命の歯車が動き出していた・・・。その出会いが僕らの人生に大きな影響を与える事をその時は知るすべも無かった・・・。出会いは、別離の始まりとも知らず・・・。

635: 774RR 2006/02/24(金) 00:57:12 ID:ZUTJ93ra
面白くて楽しみにさせてもらってるが
もはやサザエさんである必要性を感じない

638: 774RR 2006/02/24(金) 01:40:04 ID:53i+07rv
>>635
それを言っちゃぁ実も蓋もないが、人物描写を省略して読めるのがこの種の
スレの良いところだと思われる。

636: 633 2006/02/24(金) 01:01:43 ID:8mdtiDEa
バイクスレからの拾い物ですが・・・。

no title

↑マスオ物語の時代設定付近の1984年(昭和59年)東京は渋谷近辺。

●出典元
国土交通省ウェブマッピングシステム
ttp://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

空中写真検索ページ
ttp://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p

ややこしいシステムですが、見だすと楽しくて結構ハマりましたw
全国の空中写真が昭和50年代を中心に閲覧できます。あなたが生まれた頃の、あの街並みも
もう一度みられるかも?
ノスタルジックな感傷に浸れますw

661: 774RR 2006/02/25(土) 22:23:49 ID:KTlpjsOG
3台のバイクは、北海道には珍しいタイトなコーナーの続く十勝岳山中のワインディングを駆け上がっていた。
明日、東京への帰路へつかなければいけない鈴木さんは、僕らと意気投合し最後の一日を共に行動する事にしたのだ。
目指すは十勝岳温泉。鈴木さんが言うには十勝岳温泉の近くにあまり知られていない無料露天風呂があると言うのだ。

それにしても・・・。僕はオフロードバイクのオンロードでの機動性を甘く見ていた・・・。アナゴ君のカタナと同じペースで峠道を駆け上がる鈴木さんの2サイクルオフロード。ありえないほどのバンク角で、イン側に腰を落とすアナゴ君と逆方向に体の重心を置き、足を前に出して軽々と旋回していく。
吐き出される紫煙を浴びながら、僕は文字通り後塵を拝していた・・・。
オンロードでの旋回速度や、特にその加速においてはオフロードバイクになど負けるわけが無いと思っていた僕にとって、その予想外の鋭い速さはまたしてもバイクの奥深さを知る出来事だった。

しかし、僕だってそのまま置いていかれはしない。僕もまた、彼らと同じペースで痛快なコーナーリングの世界に身を置いていた・・・。
昨日の転倒から何かが変わったような気がする・・・。自分の限界とバイクの限界を知る事で、逆に心のゆとりが出来たように落ち着いたコーナーリングが出来ている。
心が落ち着いていると、体に余分な力が入らず自然なライディングが可能になる。すると、バイクというものはバイク自らが持っているバランスを保ち曲がり、そして直進する能力を備えていることを理解する。
バイクからの語りかけが聞こえてくるようだ・・・。僕とバイクとで繰り広げるダンスのようなワインディングステージ。

昨日の血走ったような心持ちとはまた違った楽しさで僕はベテラン2台に着いて行く。
バイクのことが少しわかった様な気がした・・・。ヨンフォアがもう一人の『相棒』に感じた・・・。
僕は十勝岳山腹の心地よい冷たい風を受けながら、ヨンフォアのカタログのキャッチコピーを口に出して唱えた・・・。
「おお400。お前は風だ。」

662: 774RR 2006/02/25(土) 22:58:32 ID:KTlpjsOG
山肌の僅かな平坦地に作られた野趣深い露天風呂につかりながら、僕達はそこに天国を感じていた。
熱いライディング、そしてその心地よい疲れを溶かすような至極の温泉・・・。北海道に来て本当に良かった・・・。
ちなみに、それから10年ほど後に有名TVドラマでこの温泉が使われたシーンを見て、ひどく懐かしかった覚えがある・・・。その後、この温泉は観光客でごった返すようになったそうだが、その時は僕らの貸切状態だった。

「フグ田君、本当に免許取立てなのか?すごいな。この分だとアナゴ君、キミすぐに抜かれちゃうぞ?」

「ちょっ・・・ちょっと勘弁してくださいよ~。フグタ君!まだキミには前を走らせないからな!10年早いわ!」

温泉に浸かりながらそんなとりとめの無い会話を重ねていた。どうやら僕は初心者離れした速さらしいのだが自覚は無かった。ただ、もっともっと速くなりたいという願望は、心の奥底で熱く燃え滾ってはいた・・・。

「キミ達、首都高とか第3京浜とか行ったりはするのか?」
そろそろ湯から出ようとかと思っていた時、鈴木さんがそんな質問をしてきた。
僕達は、首を横に振った。アナゴ君はどうか知らないが、少なくともその時の僕にはそれは単なる道路の名前でしか無く、速さを求めるライダーにとって特別な意味を持った言葉であるという認識は無かった。

「・・・そうか、・・・いやいいんだ。」
鈴木さんは少し含みを持たせるように、何か言いたそうな雰囲気でそういうと、もう出ようかと言って立ち上がった。

その帰り道。峠の下りで軽量オフロードの実力が炸裂した。ジェットコースターのように速度を殺さずに旋回していく鈴木さんのライディングに、アナゴ君ですら為すすべが無かった。

見る見る小さくなっていくDR。少し遅れて喰らいついていくカタナ。それを見送る僕・・・。やはり下りは難しい・・・。
僕は気が狂ったように下りの峠道を落下していく2台を微笑みながら見送る・・・。そして思った・・・。

「もっと、もっと速くなりたい・・・。」

688: 774RR 2006/02/27(月) 22:11:05 ID:UWfpQvp8
僕達は、誰もいない河原でキャンプをしていた。明日には鈴木さんは東京への帰路に着く。
ほんの二日足らずの出会いだったが、彼とはもう何日も共に過ごした仲間のようだった。

僕にとって初めてする焚き火。
火とは不思議なもので、揺らめく炎を見ているだけで飽きる事は無く、また、気持ちが落ち着いてゆく・・・。
温かいインスタントコーヒーの入ったカップを片手に、僕達三人はバイク談義に花を咲かせていた。

「どうしたら、もっと速くなれますか?」
そんな僕の突然の抽象的でつかみ所の無い質問に、アナゴ君と鈴木さんはキョトンとした顔をした。

「・・・そうだなぁ。とにかく乗りまくる事じゃないか?僕も免許取立ての時は、走りまくったなぁ。高校にバイクに乗ってることがバレて停学喰らった時なんて、それをイイことに毎日峠に通ってたなぁ」
そんなアナゴ君の答えは、一つの回答に違いなかった。
それは確かにそうだろう・・・。実際、毎日のようにバイクで距離を重ねているここ北海道の地で、僕はほんの数週間前より、確実にバイクを自在に乗りこなしてきているのを感じる。・・・だが、僕の求めている答えとは少し違うような気がした・・・。僕が欲しかったのは、何と言おうか・・・。言葉では表現しづらいのだが、もっと『魂』に近い部分の答えだった。バイクにはそんな『魂』の部分が必ず存在するような気がした・・・。そしてそこに『速くなる』秘密も隠されているような気がしたのだ。

「気負わないことさ」
あっけらかんと鈴木さんが言った。
「気負うと危険だよ。誰かと競争するわけでも、勝負するわけでもない。自分の心を満たす為にバイクに乗る、そうだろ?乗り続けることが肝心だよ。バイクに対する情熱を切らすことなく楽しく乗り続ける・・・、そうしたらいつの間にかキミも満足するようなライディングが出来るようになるはずさ。」

ポカンとする僕を尻目に、鈴木さんはこう付け加えた。
「・・・死んじゃったら、なんにもならないからね・・・。」
焚き火を見つめながら、そう語る彼の目はどこか寂しげに見えた・・・。
「な~んてな」
と鈴木さんはお茶を濁した。
・・・僕は彼の言っていることのほとんどを、その時は理解できていなかっただろう。

691: 774RR 2006/02/27(月) 22:41:59 ID:oFk1mQwt
「・・・しかし・・・、バイクって何なんだろうねぇ・・・」
炎を見つめながら、独り言のように鈴木さんがつぶやいた。

「おかしいよな。どうしてこんなに僕達はこの乗り物に夢中になっちゃうんだろうか・・・。だって車だってあるじゃないか。・・・僕達ライダーはどうして・・・バイクじゃなきゃダメなんだろうね・・・。」

僕にもそれは解らなかった・・・。
ただ、僕もまたバイクに『魂』を揺さぶられた人間の一人だ。バイクの事を考えるだけで胸が高鳴り、乗って走り出せばその心は雲上を翔る鳥のように心地よい自由に満たされる・・・。
理由こそ解らないが、僕にも鈴木さんの気持ちが解るような気がした。そう、『気がした』のだ・・・。

・・・しかし鈴木さんのつぶやきは、僕のそれとは重さが違ったのだ・・・。その時、僕らはそれを知るよしも無かった。
そして・・・そのつぶやきの重みに、その後僕たちも押し潰されそうになる事も・・・知るよしも無かったんだ・・・。


翌早朝、僕とアナゴ君の出発準備を待たず鈴木さんは青森に向け出発しようとしていた。
二言三言、別れの言葉を交わした後、鈴木さんは言ったヘルメット越しに言った。
「キミらはアホのように飛ばす、アホなライダー達だ!気をつけろよ。死ぬなよ、絶対に死んじゃダメだからな。」
笑ってそう言う鈴木さんは最後にこう言った。

「キミらも東京に住むスピードに魅せられたライダー達なら、近いうちにまた会う日が必ず来ると思う。その時が来たら、また楽しく走ろうな!」

そう言って鈴木さんは餞別のように豪快なウィリーを決めると、オイルの香りと紫煙の一筋を残し走り去って行った・・・。

・・・ここで、さよならで良かったのだ・・・。この先、鈴木さんと会ってはいけなかったのだ・・・。
しかし、僕とアナゴ君がバイクに乗る事の快感をスピードに求めていた以上、その再会はさだめられた運命だった・・・。

716: 774RR 2006/02/28(火) 10:14:08 ID:hS3whIkA
もちろん峠の下りでオフ車の鈴木さんが速かったというくだりには違和感が無いけど、上りや平地では
古いオフ車は古いオン車にパワーの差で引き離されるのが自然じゃないかな?
特にニュータイプのカツオ君と一般人なのに彼より速いアナゴ君より速いのはどうかと思う。

721: 774RR 2006/02/28(火) 12:46:23 ID:N0yUcEul
>>716
まだ目覚めてないんだろう、きっと。
これからアナゴ君とマスオさんにとってララァみたいな人になるんじゃない?

「オフロード車の性能を見せてやる!」とか「排気量の差が絶対的な差ではない
ことを教えてやる!」とか言って。(そりゃシャアだ。)

717: 774RR 2006/02/28(火) 11:45:13 ID:yV5vewx2
実際オフ車って速くないよ。

「オートバイ」2004年11月号「徹底テスト250cc編@もてぎ北ショートコース」結果より
1位 CB400 48秒08
2位 GSX250FX 48秒10
3位 VTR 48秒17
4位 SV400 48秒27
5位 ホーネット 49秒10
6位 Dトラッカー 49秒43
7位 ST250 49秒66
8位 ZRX?U 49秒68
9位 ZZR250 49秒82
10位 ゼファーχ 50秒02
11位 XJR400 50秒56
12位 XR250モタ 51秒47
13位 モンスター400 51秒74
14位 SR400 51秒92
15位 エストレヤ 52秒02
16位 CB400SS 52秒07
17位 ビッグボーイ 52秒81

740: 774RR 2006/03/01(水) 22:47:56 ID:OB5F6WLf
財布の中身と本州より明らかに早い北海道の秋の気配が、アナゴ君と僕の旅の終わりが近い事を知らせていた。

「そろそろ帰ろうか?」
まだ8月だと言うのに白い息が見える早朝。朝日に照らされながら二人で立ちションをするキャンプ場はずれの藪の中。アナゴ君がそう切り出した。
そうか・・・もうそんなに経ってしまったのか、と僕は瞬間的にこの数週間の様々な事を思い出した。

喘ぐように青森までたどり着いた深夜のバイク行・・・。たくさんのライダーと交わしたピースサイン。想い出に残る人との出会い・・・。毎日のように深くバイクと付き合うことで確実にレベルアップしたライディング・・・。そして朝日と澄んだ星空とどこまでも広がる深いスカイブルーに、初めて僕の頭上には大きな空が広がっている事を実感した・・・。
北海道に来て本当に良かった・・・。
しかし、あまりの北海道の魅力に、このままでは帰るタイミングを失ってしまいそうで怖い僕が居た。
あくまで僕の故郷は大阪であり、生活の基盤は東京だった。それを捨てさせてしまいかねないほどの不思議な魅力を持った北海道が怖かったのだ。
・・・僕は、一呼吸置いてアナゴ君に言った。

「そうだな。そろそろ帰ろう。」
東京での生活が遠い昔の事のように霞んで思えた。あのゴミゴミした猥雑な都会が初めて懐かしく思えた。
そんな自分の生きるべき場所が少しだけかけがえの無い場所であるように思えたのも、またバイクのお陰だった。

函館に向かう途中。やはり北海道名物の直線路が僕達の行く手に続いてゆく。
晩夏の太陽に照らされかげろうが立ち上る遥か彼方の路面は、地平線上で空に溶け込んでいた・・・。
僕は数週間前アナゴ君がそうしたように、ステップに立ち上がり大空を仰いで両腕を突き上げ吼えた。

バイクだ・・・。バイクが連れて来てくれた、バイクが見せてくれたこの風景・・・。
バイクがくれたこの快感・・・感激・・・感動・・・、バイクがくれた走る喜び・・・。
・・・僕はもうバイクから離れられない・・・。

746: 774RR 2006/03/02(木) 10:38:14 ID:YKKiHCF+
その後、往路の反省から3日ほどかけて青森から東京へと戻った僕ら。
東京に帰るとそのまま鮒田食堂に寄り、オヤジに土産の鮭トバを渡し飯を喰った後、僕は数週間ぶりにアナゴ君と別れた。・・・やはり疲れが溜まっていたのだろう。翌日、目が覚めたのは午後になってからだ。
酷使したヨンフォアもしばしの休息。メーターの積算距離は旅立つ前より5千キロを遥かに越えていた・・・。
・・・しかし、暑い・・・。北海道で感じた秋の気配もどこへやら。早々に北海道の涼やかな風が懐かしい僕が居た。

これだけバイクを乗り倒した夏休み。しかし、すぐに始まった学校に通って3日もすると既に体はバイクに乗る事を欲していた。
鮒田食堂では、早速週末のツーリング計画を練る僕とアナゴ君の姿。
少し前まで行動力も生活力も無かった僕は、もう平気でキャンプの出来る男となっていた。その為、毎週末のツーリングの行動範囲は広がった。単独ツーリングや、大学の仲間と数台で行くツーリングも楽しかったが、やはりアナゴ君とのツーリングが一番楽しかった。

747: 774RR 2006/03/02(木) 10:39:07 ID:YKKiHCF+
秋も深まり、冬の気配が感じられる頃になるまで実に様々なところへ行った・・・。
房総、日光、伊豆、草津、信州、上越・・・手に入れてから半年も経たないヨンフォアと、すでに1万キロ以上を共に過ごしていた。その頃には、峠道を走るペースはアナゴ君と遜色ないまでになっていた。
アナゴ君は、初心者だったはずの僕のライディングが自分に追いついてきた事に悔しさを吐露しながらも、心地よいペースでランデブーできる実力の同じ仲間が出来た事にまんざらでも無いようだった。

夏休みほどのペースではないにしろ、僕はアルバイトも続けていた。バイクライフの充実の為、金はどうしても必要だったからだ。
平日の夜は、夜間工事現場でアルバイト。アルバイトが休みの日にはなんと自主的に勉学にも励んだ。そして週末はバイク三昧・・・。
僕の生活は充実していた。毎日が楽しかった。月日が光のように速く過ぎ去って行った。
しかし、たった一つだけ、僕が満足できていないものがあった・・・。それが何なのか、僕は気がついていた・・・。
その感覚を僕はフェアレディZのテールとともに覚えていた・・・。
僕が欲していたもの・・・。バイクで駆ける喜びとも、コーナーリングの快感とも違うもの・・・。
そう・・・脳髄をダイレクトに刺激されるような絶対的『速度』。あの狂った行為・・・。狂った世界・・・。

748: 774RR 2006/03/02(木) 11:33:15 ID:YKKiHCF+
もはや気持ちだけでは如何ともし難い寒さが、ツーリングプランを拘束しだしたそろそろ12月にもなろうという頃。
僕達は満足にバイクに乗れない鬱憤をバイク談義だけでは晴らせなくなってきていた。
そしてこの頃、会話の端々に速度への欲求を表し始めていた僕の気持ちを汲み取ってくれたのだろうか、アナゴ君がどこからか仕入れてきた情報を僕にくれたのは、毎度お決まりの鮒田食堂での事だ。

「第三京浜っていうところに、週末の夜になると車やバイクの走り屋が現れてもの凄いスピードで走ってるらしいぜ」

第三京浜・・・。以前、誰かの口からそんな名前を聞いたような気もしたが、その時の僕らの頭からは消えていた。
アナゴ君が入手した断片的な情報によると、『第三京浜道路』という東京世田谷から神奈川県横浜市の保土ヶ谷というところまでを繋ぐ有料道路は、ほぼ直線で構成され、毎週末の深夜には腕に覚えのある2輪・4輪の走り屋達の高速バトルステージと化しているとの事であった・・・。

・・・僕の胸は高鳴った・・・。こんな近くにそんな熱い走りのステージがあったなんて・・・。
しかし、その情報に胸を高鳴らせていたのは僕だけでは無かった。その情報を僕にもたらしたアナゴ君本人である。
「行ってみてぇなァ・・・。腕が鳴るゼ・・・。」
そう言ってほくそ笑む彼の顔が少しばかり怖かったのを覚えている・・・。

当時の僕らは20歳そこそこの若者である。ここまで盛り上がってしまった魂の炎が、もはや消せるはずも無い・・・。
早速、今週末に行って見ようという話になってしまった。

やってきた週末。午後9時。僕らは駅前に集合していた。
初冬の夜の風は身を切るように冷たかったが、僕らは初陣に臨み熱い心の高ぶりを隠せないでいた。

若さと無知だけで飛び込んだその世界・・・。スピードの悦楽と、背中合わせの死が支配する狂気の世界に、僕達は運命のように吸い込まれていった・・・。そう、遅かれ早かれ僕らはここに辿りつく運命だったのだ・・・。
『伝説』が始まろうとしていた・・・。

しかし、その伝説への第一歩に、僕は明らかに何かが不足した状態で臨んでいたことにその時、気がついていなかった・・・。東京側から第三京浜のICをくぐる僕の股下で回るエンジンの排気量は・・・たったの398ccだった・・・。

759: 774RR 2006/03/03(金) 14:48:55 ID:xcDSZigj
BGM「マイレボリューション」

763: 774RR 2006/03/03(金) 22:29:49 ID:dqpWusvv
僕達は、様子を伺いながら100km/h強で流していた。
同じペースで走る一般4輪車が前後に数台。漆黒の闇に吸い込まれていく片側3車線。等間隔で次々と迫ってはバックミラーの中で小さくなるオレンジ色の道路灯。どこまでも広がる無機質な夜景・・・。
22時の第三京浜は、僕達の予想を裏切り静寂の中にあった。

5kmほど走った頃であろうか・・・。併走するアナゴ君が僕のほうを向いておかしいな、というニュアンスで頭をかしげた時だった。視界の右隅。バックミラーの中に小さな光点が現れたのが見えた。
一瞬のうちに大きくなる光点。光の正体を直接確認しようと右を振り向こうとした瞬間・・・。
僕が振り向く必要は無かった。真横まで首を捻ったところで、その正体は一瞬にして僕達の右前方に移動していた。

・・・漆黒の闇と静寂を切り裂く、悪魔の叫びのような排気音と、悲鳴のようなメカノイズ。
その轟音と血のように真っ赤なテールランプの光を引きずるように、僕らの目前から瞬く間に小さくなっていくのは紛れも無くオートバイ・・・。車種など判別する余裕など・・・あろうはずも無い・・・。

100km/hの風を切る僕の耳に「ウヒョー!」というような親友の聞きなれた声が聞こえたような気がした。
続いて、シフトを落とすカシャッという音が3つも続けて聞こえてきたかと思うと、持てる力の全てを乗り手によって開放されたGSX750Sカタナが闇に消えていこうとするそのバイクを追うため、飛び出す。
ヨンフォアのヘッドライトが照らすカタナのリアタイヤから僅かにスモークが見え、ゴムの香ばしい香りが一瞬鼻をつく・・・。

・・・僕は、自分の心臓がもの凄い勢いで拍動しているのを感じた。
カタナのリアタイヤから発せられたゴムの香りの後、鼻の奥深いところから発生した、匂いとも味ともつかないアドレナリンの仕業らしき感覚。

アナゴ君と同じように、僕もまたスロットルをストッパーまで捻っていた・・・。これだ、この感覚だ・・・。

766: 774RR 2006/03/03(金) 23:38:28 ID:dqpWusvv
フェアレディZを追ったあの日以来突入した事の無かった領域をスピードメーターの針は指し示す。
程なくして針は上昇を止めた。時速170キロ。
深くタンクに伏せる。そうするとヘルメットが風を切る音がやや和らぐと同時に、股下のエンジンが猛烈な勢いで回転している音が聞こえてくる。
気を抜くと、直進方向以外に発散してしまいそうな凄まじく大きな慣性エネルギー。アスファルトのザラザラした感触がタイヤからサスペンションを介して直接的に伝わり、時おり越える陸橋の継ぎ手は、ヨンフォアの体勢を崩そうと仕掛ける悪魔のイタズラのようだった・・・。

これだ・・・。この感覚・・・。刹那的で、暴力的で、非常識で、非日常・・・。
バカな事をしているのは解っている。何か具体的なものが得られる行為ではないことも知っている・・・。
しかし、この湧き上がる感情はなんだ?死と紙一重の状況に身を置く事で感じられる生きている実感・・・。
・・・そんな事でしか生の実感を得られないという事が少しだけ寂しい事であるということに気がついたのは、もっと大人になってからの事だ・・・。
その時の僕はほとんど何も考えず直感的に、そして野性的にこの最高の狂った悦楽に身を置いていた・・・。

しかし、すぐに僕はある違和感に囚われる事になる。
なぜなら僕は、先刻僕を追い抜いていった車種も解らないバイクとそれを追って猛加速をしていったアナゴ君のカタナを追っていたはずなのである・・・。
あの日のフェアレディZは、この速度で常に僕の目前にいた。追えていた・・・。ところがどうだ、今の僕の目の前には・・・誰もいなかった。
アナゴ君が猛追を見せてものの1分ほどの間に、2台は完全に僕の視界から消えていた。
闇の中の単独走行・・・。これは一体どういうことだ?

そんな違和感にやや心を奪われていた時、今度は四輪車に抜かれた・・・。
それなりの速度を出していた為、先刻ほどの速度差はなかったものの、やはり圧倒的な速度を見せつけて僕から遠ざかっていくその後姿は4灯テールライトが特徴的な日産スカイライン。

追いつかない・・・。追いつけない・・・。この苛立ちにもにた不快感はなんだ!

767: 774RR 2006/03/04(土) 00:13:45 ID:B+Zq3ujx
170km/hという死と隣り合わせの狂気の速度が、まるで歩くように遅く感じた・・・。
プールの中を歩くように、思うように前に進んでいかないような感触・・・。先行する自分の気持ちとは裏腹にこれ以上速度を上乗せできないヨンフォアがもどかしかった。
乗り物としては十分以上に速いこの速度。だが・・・、だが・・・ヨンフォアがこんなに遅いと思った事はそれまで無かった・・・。

バイクは車より速いと思っていた。青信号のスタートダッシュで、ヨンフォアに追いすがってきた四輪車はそれまで居なかった。東京の渋滞気味の道路上では、バイクに敵する四輪車など存在しなかった・・・。
いや、僕が知らなかっただけだ・・・。僕が思う以上に四輪車は速かった・・・。
バイクはクルマに敵わないのか?そんな疑念がふと頭をよぎったその時・・・。

次の瞬間、2台にまとめて抜かれた。セリカとそれを追うカワサキZ?U。
僕を抜いた次の瞬間、カワサキはセリカの横に並びゆっくりと前に出る・・・。そしてそのまま二台は僕の手の届かない距離まで遠ざかる・・・。

・・・そうか・・・。バイクがクルマより遅いんじゃない・・・。僕が・・・僕が遅いんだ・・・。

僕は意地になってタンクに伏せ最高速度を保っていたが、その後バイク3台とクルマ2台に抜かれた。
完敗だ・・・。僕は深夜の第三京浜で誰にも相手にされていなかった・・・。
バイクに乗ってこんなにもどかしく不快な気分になったのは初めてだった・・・。
幼い頃から運動会でも勉強でも、人に負けて『悔しい』と思ったことが無い僕にとって、その不快感が『悔しい』という感情である事に気がついてのはその後しばらく経ってからのことだ。

・・・しかし、たった一台。僕を相手にしてくれるクルマが現れた。それは僕にとって望まない相手だった・・・。
タンクに完全に伏せた上体でバックミラーをしばらくの間見ていなかった僕の背後にそいつは居た・・・。
突然、周囲の景色が真っ赤に点灯し始めて僕は我に帰った。バックミラーを覗くと、すぐ背後に居るクルマがその赤い光を放っていた・・・。次の瞬間、駅の構内アナウンスのような無機質で一本調子の声が聞こえた。

「そこのバイク、停まりなさい。左に寄せて停まりなさい。」

・・・僕の頭は、真っ白になった・・・。

779: 774RR 2006/03/04(土) 15:48:10 ID:baQRIKiZ
僕への停車を促すアナウンスが終わるか終わらないかのタイミングで、けたたましく響くサイレン。
本来の交通取締り規定では、サイレンと赤色灯を起動した後の追尾開始と、然るべき車間距離と然るべき追尾時間が定めらられているはずだが、今も昔もそんな御丁寧に規定を尊守し犯罪者を追尾する警察官などほとんど居る訳も無い。
そんな次第で、計測され終わるまで僕はその神奈川県警高速機動隊の追尾に気がつかなかった訳であるが、お前は犯罪者だ、と自覚させるようなサイレンの嫌らしい音はますます僕をパニック状態へ追いやった・・・。
200km/hをも越える速度で走り去る大型バイクやチューニングカーに比べ、中型バイクは取締る側にとって都合の良いカモだったに違いない。

逃げ切ろうか、という考えが脳裏を掠めたが、既に速度がサチュレートしている状態で後ろに喰らいつかれているのである。そんな事が出来るわけも無い・・・。

僕はその5秒ほどの間で、様々な事を心に思い浮かべた。・・・免許の事、罰金の事・・・もうバイクに乗れなくなってしまうのだろうか・・・?
背後に迫る、赤く回る赤色灯とサイレンの音に圧倒され、僕は無意識のうちに観念し、スロットルを緩めた・・・、
・・・その時である。

ヨンフォアとパトカーの隣に、3台目の高速移動物体が現れた・・・。

左車線で減速しようとした僕の隣に、鼻っ面を並べる白と赤に塗り分けられた大きなフロントカウル。バイクだった・・・。
フロントカウルには『HONDA』の文字・・・。タンクには自由の翼・・・。
黒い革ツナギに身を固めた細身のライダーの尻の下。サイドカバーには『CB1100』の車名。その車名の下には大きく燦然と輝く、赤い『R』の一文字・・・。ホンダが1980年代初頭に市場に送り込んだ『究極のCB』。
その名もホンダCB1100R・・・。

780: 774RR 2006/03/04(土) 15:50:44 ID:baQRIKiZ
僕は思わず右隣のそのバイクに目をやる。視界の隅のバックミラーの中では、パトカーの中で助手席の交通機動隊員がそのバイクのほうを指差して何か叫んでいる。
そして、CB1100Rのライダーはパトカーに向け左手で挑発めいた仕草を見せる。
次の瞬間、右に車線変更しCB1100Rを追う高速交通機動隊。
2台は僕のことなどまるで無かったかのように僕を引き離してゆく・・・。なんという加速だ・・・。そして大きな左コーナーに美しいリーンで吸い込まれてゆくCB1100Rとそれを追うパトカー仕様のスカイライン・・・。

一度は見えなくなった彼らだが、前方の保土ヶ谷料金所をノンストップで突破するCB1100Rと、それをさらに追う赤色灯が確認できた・・・。

・・・もしかして・・・僕は助かったのか?
幸運だった・・・。僕を助けようとするライダーの登場もそうだが、だからといってパトカーが僕の検挙を諦めるとは限らなかったはずだ・・・。検挙しようとしていたバイクより速いバイクが通過した手前、追わずにはいられなくなったのか、
単純に機動隊員が挑発に乗ってしまったのかは解らない・・・。ただ、僕はどうやら助かったらしいという事だけは解った。
僕はこの寒空の下、冷や汗が脇や背中をつたっているのを感じた・・・。

料金所で料金を支払い、アナゴ君と落ち合う約束をしていた保土ヶ谷PAにバイクを入れる。
たくさんのバイクが集まっていた保土ヶ谷PA。すぐに街灯の下で他のライダー・・・あれは僕らを最初に追い抜いていったバイク乗りだろうか?・・・と笑顔で会話をしているアナゴ君を発見した。
カタナの隣にヨンフォアを停める僕。すぐにアナゴ君が「おいおい!ここからじゃよく見えなかったんだけど、パトカーに追われて料金所を突破していったバイクがいたぜっ!!」
とまるで他人事のように興奮しながら報告してきた。

・・・僕はバイクを降りるとヘルメットも脱がず、その場にへたり込んだ・・・。
「おい、フグ田君どうしたんだよ?それにしてもスゲーなぁここは!こんなに興奮したの初めてだよ!俺、毎週通うぜここに!」
と大声で語るアナゴ君の言葉は耳にあまり入ってこなかった・・・。

・・・そんないつも通りのアナゴ君を見て、改めて『助かった』という思いを噛みしめると、腰が砕けた・・・。

781: 774RR 2006/03/04(土) 16:16:34 ID:baQRIKiZ
僕は、たった今あった事の次第をアナゴ君に報告した。アナゴ君の隣には、やはり僕達を最初に追い抜いていったXJ750Eのライダーの姿。アナゴ君は結局この彼と保土ヶ谷までバトルを楽しんだらしい。

高速交通機動隊に背後をとられ停車を指示されたこと・・・そんな時、CB1100Rが現れ僕を救ってくれた事・・・。
それらを逐一アナゴ君に報告すると、名も知らぬXJ750のライダーが言った。
「・・・あの人だな・・・、きっと。」
どうやら第三京浜では少しは名の知れた人物だったようだ・・・。
「まぁ、初期型のCB1100Rだからね。今でも最速というわけでは無いけど、速い事は確かさ。それに面倒見が良くってみんなから慕われているんだ。きっとパトに追われる中型バイクを見て放って置けなかったんじゃないかな?」

こうした会話をして頭が冷静になってくるうちに、僕の脳裏に一つの思い出が蘇ってきた・・・。
かつて、『CB1100R』というバイクの名前が会話に出てきたのを覚えている・・・。あれはどこでの事だったろう・・・。
そしてやはり、『第三京浜』という名前もほぼ同じ頃に聞いたような気がする・・・。

『キミ達、首都高とか第3京浜とか行ったりはするのか?』

・・・突然、そんなセリフがフラッシュバックのように僕の記憶からある男の顔と一緒に思い起こされた・・・。
細身で長身のその姿・・・。CB1100R・・・。第三京浜・・・。・・・4ヶ月ほど前の記憶だった。

「・・・もしかして、鈴木さんじゃ・・・」
僕は独り言のようにつぶやいた・・・。それを聞いてXJ750のライダーが驚いたように聞き返す。
「そうさ、鈴木さんって人さ。どうして知ってるんだい?キミら、ここに来るの初めてなんだろ?」

僕とアナゴ君は、顔を見合わせた・・・。

814: 774RR 2006/03/05(日) 21:56:13 ID:+vLIWecr
週明けの月曜日。僕らは鮒田食堂で晩飯を食っていた。
アナゴ君は週末のXJ750のライダーとのバトルの余韻がまだ抜けておらず、僕に身振り手振りを交えてその話をしてきたのだが、僕は上の空で聞いていた・・・。僕の頭の中では、別のある考えが巡っていたからだ・・・。

ラーメンの残り汁をすすりながらアナゴ君が聞いてきた。
「俺は今週末も第三京浜に行くぜ。もう楽しくってしょうがないよ。鈴木さんにも会えるかもしれないしな。フグ田君はどうする?」

そうだ・・・。もし鈴木さんに会えるものなら、週末に警察から逃がしてくれたお礼もせねばなるまい。少し考えた後、僕は答えた。
「・・・そうだな。行くよ。」

アナゴ君は、そんな僕の語気にいまいち乗り気ではない何かを感じたらしい。
「おい。フグ田君・・・。あまり気が進まないみたいじゃないか?パトに追われて懲りちまったのか?」

・・・とんでもない・・・。僕はリベンジに燃えていた・・・。
週末の第三京浜で、やはりスピードの中に身を置く事が僕にとって快感をもたらすという事を再確認していた。
やはり同じように闇の中を疾走するバイクやクルマ達の姿にしびれた。
そして、僕を歯牙にもかけないそんな彼ら達にもう一度挑戦し、今度こそは負けたくないという気持ちで胸の中は人知れず熱く燃えていたのだ。
・・・しかし、今の僕には何かが足りない事を感じていた・・・。いや、本当はもう解っていたのだ。どうすればその足りないものを手に入れられるのかという事を・・・。

アナゴ君と別れ、部屋に戻った。今晩もアルバイトが入っている。
部屋に入る前に、駐輪場のヨンフォアの元へふと足を運んだ。・・・僕の愛車ヨンフォア。最高の僕の相棒・・・。
僕の胸の内を知ってか知らずか、物言わず佇む400cc・・・。
そんな愛車の姿をしばし眺め、ますます複雑な気分になる僕がいた・・・。

818: 774RR 2006/03/05(日) 22:22:06 ID:+vLIWecr
その週末の夜。僕達は二度目になる第三京浜を走行していた。
アナゴ君は早々に四輪車を追って視界から消えていった・・・。僕はといえば、一般車両より少し速いくらいのマイペース走行。
このような高速バトルステージで戦うには中型二輪はあまりにもデメリットが大きい事を前週に身を持って知ってしまったからだ。
捕まれば免許が一発で消えてしまうくらいの速度が出るにも関わらず、高速交通機動隊の追尾を振り払うほどのスピードまでは出ない・・・。そんな状況で走っていては免許証が何枚あっても足りない。
それにいくらムキになってリスクを背負い飛ばしたところで、この狂ったスピードの世界に棲む住人達には、僕は走るパイロン程度の存在でしかないのだ・・・。

そんな考え事をして走る僕を今晩3台目の大型バイクが追い抜いていった。あのライムグリーンはZ1000Rであろうか・・・。
傍で見ている僕にまでヒシヒシと伝わってくるあのパワー感・・・。あの迫力・・・。あの速度・・・。
一時頭をよぎったヨンフォアの改造という考えも、そんな大型バイクのオーラの前には消し飛んで行った・・・。
峠ならそれもありだろう。しかし、僕が戦いを求めているステージはここ第三京浜のような高速ステージなのだ・・・。

・・・そんな僕の心のモヤモヤを払拭するには、たった一つの選択肢しか無かった・・・。
ヨンフォアを心の底から愛する僕にとって、それはある意味辛い選択だった・・・。

保土ヶ谷料金所が見えてきた。ノンビリと走ってきた僕をアナゴ君は待ちくたびれているだろう。もしかしたら鈴木さんもいるかも知れない。

保土ヶ谷PAには今夜もたくさんのライダーが居た。その中からアナゴ君を探し、ヨンフォアを停める。
数人のライダーの輪の中でアナゴ君は缶コーヒーを片手に震えていた。先週のXJ750Eのライダーも居る。きっとその仲間なのだろう。

「フグ田君遅かったな。鈴木さんはまだ来てないようだぞ」

823: 774RR 2006/03/05(日) 22:51:51 ID:+vLIWecr
「今日は来ないのかも知れないよ。先週パトカーとやりあってるし。」
輪の中の誰かが言った。彼らは鈴木さんと『チーム』を作っているという訳では無いが、ここではよく談笑しあう仲間のようだった。

12月の深夜は寒かった。だが、僕とアナゴ君は少なくとも日が変わるまでは待ってみようと思っていた。
名も知らぬライダー達とのバイク談義。それは単なる僕のコンプレックスから来るものなのだろうが、全員大型バイクに乗る彼らが僕と住む世界の違うつわもの達に見えた・・・。
目の前に並ぶたくさんの大型バイク・・・。僕の小さな愛車がますます小さく見えた・・・。

そうしているうちに、何人かは帰って行った。XJ750のライダーと数人が、僕達に付き合ってくれていた。
そろそろ日も変わろうとしていた頃、誰かが遠くのエキゾーストノートを聞きわけて言った。
「来たんじゃねーの?」

少しの間をおき、保土ヶ谷PAにそのバイクが入ってきた・・・。
鮮やかに白と赤が塗り分けられた大きなフロントカウルが美しいCB1100Rが僕達の目の前に停まる。
顔見知りを確認し、「よっ!」と挨拶をして右手であげたバイザーの中の目は・・・まさしく鈴木さんだった。
「・・・おっ?お~!!キミ達は!!アナゴ君とフグ田君じゃないかっ!!」

・・・僕達は鈴木さんに再会した。お互いにとって・・・運命の再会・・・。
アナゴ君は駆け寄ってまだバイクの上の鈴木さんの手を取って再会を喜ぶ。僕も言わねばならない礼をした。

「あの、先週はパトカーから助けてもらってありがとうございました」

鈴木さんが跨るCB1100Rは、他の大型バイクの中でもひときわ美しく、そしてオーラを放っているように見えた。
鈴木さんは、バイクを降りヘルメットを脱ぐと、先週のはやっぱりキミだったのか、と笑って言った。両目の脇の優しそうな笑い皺は北海道の時と同じだった・・・。

825: 774RR 2006/03/05(日) 23:28:44 ID:+vLIWecr
「あ~あ、やっぱりここに来ちまったんだな・・・キミらは。」
鈴木さんの言葉の真意が理解できず、僕はアナゴ君と顔を見合わせた。

「・・・もう走っているから解ってると思うけど、ここは一歩間違えれば死ぬ世界だ。俺はキミ達をこの場所に誘いたくは無かった。でもキミ達は自分の意思でここに来た・・・。約束だ。絶対にここで死ぬんじゃないぞ」
少しだけ真剣な眼差しで、鈴木さんはそう言った。
常連組のライダー達は何も言わず、中にはうつむいている人も居た。
僕とアナゴ君の、ハイ!という返事は鈴木さんの言葉の真意をどれほどまで理解して発した返事であったであろうか・・・。

僕達は語り合った・・・。先週のパトカー騒ぎ・・・。第三京浜での出来事・・・。北海道での思い出・・・。
身を切るような寒さだったが、僕らは暖かい缶コーヒーを何本も開け、時間を忘れて語り合った・・・。
・・・その話の最中、ふと僕は停まっているCB1100Rに目を奪われた・・・。

大きなフロントカウル・・・。(当時としては)太いタイヤ・・・。ひときわ大きく輝く「R」のレッド・・・。
いかにも大型バイク然としたその佇まいに、僕の抱えていた悩みが溶けていくような気がした・・・。
法による拘束が取り払われ、純粋に『速く』走る為のパッケージングで作られた大型バイク・・・。
中型バイクの楽しさは今でも否定するつもりは無いし、エンジン回転を使い切り、その軽快なフットワークで駆け抜けるスタイルはオートバイという乗り物の一つの理想形でもあると思っている・・・。
・・・だが、僕は行き着くところまで行って見たいと思った・・・。バイクという乗り物にそこまで心酔していた・・・。

僕はアナゴ君や鈴木さんを始めとした大型自動二輪の先輩達の前で宣言した・・・。宣言してしまった・・・。

「・・・僕、大型自動二輪免許取ります!大型バイクに乗ります!」

・・・同じ頃、まるでそんな僕の想いに応えるように、遠くはなれたアメリカはラグナ・セカサーキットで一台の二輪史に残るバイクが世界に発表されていた・・・。そしてそのバイクは僕の故郷、関西の地で市販に向けた最終準備段階に入っていた・・・。
1983年がそろそろ終わろうとしていた・・・。

829: 774RR 2006/03/05(日) 23:50:12 ID:qpYWnvFX
確かに当時の世界最強クラスかもしれないけど、いくら稼ぐつもりしてるんだろうw

852: 774RR 2006/03/06(月) 13:32:38 ID:cKq0C4gV
フグ田くん・・・
  / ̄⌒⌒ヽ
 | / ̄ ̄ ̄ヽ
 ||  / \|
 ||  ´ `|
 (6   つ /
 | / /⌒⌒ヽ
 |  \  ̄ ノ
 |   / ̄

867: 774RR 2006/03/06(月) 22:36:03 ID:W2zhzX09
鈴木さんと再会したあの日以来、僕は第三京浜には行かないと決めていた。
僕の計画を実行に移すためにまず必要なもの・・・。それは金だった。

大型自動二輪試験を受けるに当たっての練習所に支払う練習料もそうだが、なによりも免許取得後の大型バイク購入資金を貯める事に専念した。
その、いつになるのか解らない未来の為に、僕は必死でアルバイトをこなした。
平日はもちろん、アナゴ君が第三京浜に通っている週末の夜も仕事をした。時には日曜日も働き、一週間働きづめの週もあった・・・。

アルバイトを覚えたての頃は、道路工事現場の交通整理だけだった職種も、実際の現場作業から、アナゴ君の伝手以外の引越しの手伝いなど、肉体を酷使する時給の良い仕事を毎日のようにこなすようになっていた。
毎日疲れ果てて部屋に戻る日々。体は疲労でクタクタだったが、半年程前の自分には考えられないほどの筋肉が四肢に付いていた。

逞しくなってきた僕の肉体には、「モヤシ」と揶揄された昔の面影は無くなって来ていた。着痩せする体型らしく、それが周囲の人間に露見する事はほとんど無かったが、この時期の異常なまでのバイト量とそれに伴う肉体改造は、近い将来に現実となる大型バイクでの高速バトルで大いに役立つ事となる・・・。

868: 774RR 2006/03/06(月) 22:36:51 ID:W2zhzX09
アナゴ君とバイクに乗る時間が減ってしまったのは残念だったが、どうせ今は冬。我慢と辛抱を重ねれば得られるであろう大型バイクとの夢のような日々を思い描き耐えた。
それにアナゴ君とは以前と変わらず鮒田食堂で飯を食い合う仲だったし、アナゴ君の第三京浜の土産話は僕のアルバイト尽くめで疲れた日々の、大きな支えとなった。

相変わらずヨンフォアに対する後ろめたさというのは感じていたが、もう振り返らないと自分に言い聞かせ残り少ないであろう愛車との日々を街乗り程度ではあるが楽しんでもいた。

未だ春の気配が見えない1984年2月上旬。僕はもうひとつ毎日のように釘付けになっているものがあった・・・。
バイク雑誌の数々だった・・・。最初は大型自動二輪取得に関する情報を得ようと購入したそれらの雑誌。
しかしその時期、どの雑誌を見ても紙面を賑わせている一台の大型バイクがあった・・・。

250km/h近い最高速度・・・。ゼロヨン10秒台の俊足とパワー・・・。世界中のバイク乗りがその時、この一台に注目していた・・・。

・・・カワサキGPz900R・・・。北米でのペットネーム『ニンジャ』・・・。僕は完全にその虜になっていた・・・。

903: 774RR 2006/03/08(水) 23:01:16 ID:dngYFOJm
鮒田食堂。300円の醤油ラーメンをすすりながらバイク雑誌のページをめくるアナゴ君。そのページにはGPz900R。
どうでもよいが、彼はほとんどいつも同じラーメンを食べている。よくもまぁ、飽きないものだ。

「・・・ホントに、このバイクにするのか?」
そのアナゴ君の問いかけに、信念を持って頷く僕がいた。

「しかし・・・高いぜこりゃ。逆輸入車だろ?一体、幾らくらいするんだろうな?」
・・・そう。それが僕のもっとも懸念していた事だった・・・。
規制緩和により、現在のように当たり前のように逆輸入車が購入できた時代ではない。例えば登録一つとっても車両のフレームナンバーではなく、陸運局の職員による「職権打刻」と呼ばれる新たに打刻されるフレームナンバーにより登録される事になる。逆輸入車の購入とはそんな特別な事だった時代。

春の気配が見えてきた3月中旬。
昨年末から冬休みも学校が始まってからも続いていたアルバイト三昧の日々と、切り詰めた日常生活によって当時の中型二輪車であれば現金一括で買えそうなほどの財力がその時の僕には既にあった。
しかしこんな程度でGPz900Rの逆輸入車が買えるわけなど無いし、もちろん登場したばかりのこのバイクに中古車などあるわけが無い。そもそも所持金の一部はこれから何度通う事になるのかも解らない限定解除の為に使わなければならない・・・。

「ま、なんだかんだ言っても金なんてどうにかなっちまうんだけどな」
とアナゴ君は笑った。
彼も限定解除に成功したその足で、中古のナナハンを覗こうと寄ったバイク屋で新車のカタナを見てしまったのが運の尽きだったらしい。気がついたら所持金全額とローンの組み合わせで契約が済んでいたという・・・。

「あ~あ!フグ田君が限定解除してGPzを買っちまったら俺が一番小さい排気量じゃないかよ!参っちまうな。ま、俺はあのカタナにずっと乗り続けるけどな!」

この時が、これまで何度繰り返されては訂正されたか解らない「今のカタナに乗り続ける」というアナゴ君のお決まりのセリフの、記念すべき第一回目である・・・。

905: 774RR 2006/03/08(水) 23:50:03 ID:dngYFOJm
深夜の潰れたパチンコ屋の駐車場で、久しぶりに並んだヨンフォアとカタナ。
この日、僕は初めて大型自動二輪に跨った。4月から限定解除に向けて具体的にアクションを取ろうとしていた僕に、アナゴ君がカタナを貸してくれたのだ。

凄い・・・。サイドスタンドを起こそうと車両を直立にしただけでも感じるその巨大な体躯・・・。ズッシリとした重さ・・・。
跨ってハンドルに手を添えると、目の前を圧迫するタンクや計器類・・・。
股下ではアイドリングにも関わらずゴロゴロと巨大なピストンとクランクシャフトが駆動しているのが感じられる・・・。
その重いクラッチレバーは、即ち大きなパワーを受け止める大きなクラッチ容量を現している・・・。

ニュートラルからローへ。その『ガツン』という音とショックは、明らかにヨンフォアと異なっていた。
重いクラッチレバーをそろそろと繋いでいく・・・と、ほとんどアイドリングにも関わらず、その巨体はドロドロと前に向かって動き出す。
歩くほどの速度から、スロットルを少しだけスッと開けてみると、ドンッと後輪が強大なトルクでアスファルトを蹴飛ばす。
30mほど直進してUターン。ズッシリと重く、それでいて安定したリーン。
車体が直立すると、心配そうな顔をするアナゴ君に向かってさっきよりももう少しだけ大きくスロットルを開ける。
ズゴォォォとバイクが先行し、頭が後ろに置いていかれそうになる。無意識にニーグリップがいつもより強くなる。
空き缶をパイロンに見立てたスラローム。ズン!ズン!とその大きさと重さを感じさせないかのように身を翻すカタナ。ヨンフォアに慣れて忘れていたバイクという乗り物の質量を思い出す・・・。

「どうだい?やっぱりヨンフォアとは違うだろ?」
そのアナゴ君の言葉に、僕は笑顔で頷いた。
やはり大型バイクは凄い・・・。うむを言わせぬ迫力・・・。そのパワー感・・・。
僕はその晩、限定解除をしてやろうという決意を新たにしていた・・・。

その帰りのヨンフォアが自転車のように軽く感じた・・・。ヒューンと軽快に回る、手の内に収まるエンジンパワーがそれはそれで楽しかったのが何故か記憶に残っている。

来週から4月。僕は限定解除に挑む・・・。

914: 774RR 2006/03/09(木) 13:10:07 ID:IyZRG8UI
フグ田サザエ 川村女子短大中退
フグ田マスオ 早稲田大商→海山商事
フグ田タラオ かもめ第三小学校→海城中→海城高→明治大経営→フリーター
磯野カツオ かもめ第三小学校→区立中→都立中→花沢不動産
磯野ワカメ かもめ第三小学校→区立中→都立高→北里大看護→北里大学病院
磯野波平 尋常小学校→丁稚奉公→リーマン
磯野フネ 日本女子大
波野ノリスケ 東京大法→講談社
波野タイコ 立教大経済
波野イクラ 慶應義塾幼稚舎→慶應義塾普通部→慶應義塾高→慶應義塾大経済→ヒモ
中島 かもめ第三小学校→区立中→國學院久我山高→法政大→広島→ドジャース→ロッキーズ
橋本 かもめ第三小学校→区立中→都立高→フリーター
花沢花子 かもめ第三小学校→区立中→都立高→明海大不動産→花沢不動産
カオリちゃん かもめ第三小学校→区立中→都立高→青山学院大法→丸の内OL
早川さん かもめ第三小学校→区立中→都立戸山高→慶應義塾大経済→JETRO職員→衆院議員
ミユキちゃん かもめ第三小学校→区立中→都立高→美容専門学校→美容師
サブちゃん 一橋大法→サントリー→三河屋

940: 774RR 2006/03/10(金) 23:22:59 ID:044JzTWH
4月に入り僕は練習所に通った。練習車両はヤマハGX750。
やはりヨンフォアに比べ大きく重い・・・が、決してどうにも手に負えないというほどのものでは無く、やはり同じオートバイ。コツさえ掴んでしまえば去年教習所でホーク?Uに乗っていた時と同じ事だ。どんなに重くてもパワーがあっても、バイクは腕力で乗るものではなくキッカケで倒しこみエンジントルクで車体を起こすという基本は同じだ。
数ヶ月の中型バイク生活で忘れていた基本を思い出し、また身に付けていたスキルを駆使し順調にこなす練習。

数時間の練習を早々に終わらせた僕は、早速免許センターに居た。
その日、僕は欲を張っていたのかも知れない・・・。
数々のライダーの前に大きな壁となって立ち塞がり、そしてふるい落としてきた悪名高き限定解除試験・・・。
『落とすための試験』と揶揄され、人によっては数十回の受験すらザラであるこの試験を僕は一発で通過してやろうと目論んでいた・・・。
その根拠の無い自信はどこから来ていたのか・・・。今となってはもう忘れてしまった。

練習車両と同じ試験車両。
次々と受験生が試験コースに入く。中には途中で試験中止にされてしまう者も多い。
・・・緊張する・・・。足に力が入らない・・・。

「はい、フグ田さん。乗って。」

偉そうな警察官に呼ばれてハッと我に返る。ひっくり返った声で返事をする。
後方確認をしてバイクを引き起こす。バイクに跨る前にサイドスタンドを格納する・・・。着座してからのほうが安定するだろうに・・・おっと、余計な事は考えまい。
一連の乗車手順を踏んでいく・・・。試験官がバインダーに何か書き込む姿が視界に入り、集中力を乱す。一体何を記入しているのか・・・。減点など無いはずだ!

942: 774RR 2006/03/10(金) 23:25:23 ID:044JzTWH
そう思っていたのは自分だけ。本当は後方確認を一回、シフトをローに入れる時の足の踏み変えの際に忘れていた。

テストコースに試験車両を走らせていく僕。コースは完全に暗記したはずだ・・・が、もうどこをどう走っているのか極度の緊張で意識が無い。・・・しまった・・・右折時に交差点中央から1m以上距離が離れてしまっている。試験官の目に入っているだろうか・・・。一体、今どれほど減点されているのか・・・。走らせてもらっているということはまだ大丈夫ということだろうか?

緊張、そして余計な考えに頭を使ってしまったせいで・・・やってしまった・・・。
スラロームで最後の一本にパイロンタッチ・・・。一発で試験中止のミスだ・・・。すぐさまメガホンで呼ばれる。

当初の自信などどこへやら。いともあっさりと僕の初めての限定解除は終わった・・・。最後まで走らせてももらえ無かった・・・。

僕がこれから乗ろうとするバイクには、あんなエンジンガードなんて付いていない。エンジンガードさえなければパイロンに接触する事なんて無かったのだ・・・などと女々しく免許センターと免許制度を呪ってみたところで後の祭り。
大型二輪を目指すほとんどのライダーが受ける洗礼を見事に僕も味わってしまった。

大型自動二輪までの道程が遥かに霞む遠い旅路に思えた・・・。
部屋に帰り、新しくする事の出来なかった免許証を眺めた。条件欄の『自動二輪は中型に限る』という10文字を恨めしい思いで睨み付けた・・・。

しかし僕はもう一年前の僕ではない。絶対に諦めないと、自身とGPz900Rに誓った。